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(走り屋!?)
ぎょっとして、飛び上がりかけながら、複数の改造バイクのエンジン音であることは、確実に聞き分けていた。
バイクに飛び乗ってメットを被り、エンジンをかけたところで、遠く、緩いカーブを曲がってきたバイクの集団が、視認できた。黒竜の予想は、なかば的中し、なかば裏切られた。
一台のバイクが、五台ほどの改造バイクに追われているようなのだ。
追う側は、何本もの排気塔を高々とかかげ、逆にシートの位置は異様に低い、お定まりの「走り屋仕様」。二五〇CCとおぼしい、未改造のバイクを後方に囲んで、なぶるように爆音を響かせ、じぐざぐ走行してくる。どれも二人乗りで、後ろの男は鉄パイプや、ばかでかいバールを振り回している。
が、何より驚いたのは、そいつらが全員、ガスマスクをつけていることだった。
基本的に走り屋どもは、メットをはじめ、風をさえぎるようなものを、顔につけたがらない。せいぜいグラサンにマスクか、目出し帽を被る程度で、ガスマスクの走り屋など、少なくともこの界隈では、見たことがなかった。そうして、追われているほうは……
(女だ)
スカートの長い、黒っぽい服を着ているようだ。メットは被っておらず、長めの黒髪が、思うさま風になぶられている。時々振り向いては、あやうく転倒しそうになりながら、鉄パイプの一撃を、かわしたりしている。いや、なかなかどうして、あの走りはタダモノではないと、黒竜は直感した。
かれは風防を降ろし、スロットルをふかした。頼もしい単気筒の爆音が、勇気を鼓舞するようだ。小心なかれのどこに、そんな勇気があったのか。急なできごとであり、助ける対象が一目瞭然であり、また走り屋に対する日頃の鬱憤が、背中を押したのかもしれない。
けれど、いざ飛び出そうとした瞬間、かれは信じられないものを見た。
「何だあああ?」
改造バイクの後ろから、奇怪な鉄の塊が、姿をあらわしたのだ。大きさは三トン車ほどだが、脚状の支柱が四方に伸びており、フレキシブルに可動しながら、路面を滑走してくる。上部には、まがまがしい砲塔が、はっきりと認められた。その姿はまるまると肥えた、黒い大蜘蛛にほかならなかった。
掃討車! しかも、かなりのデカブツだ。
砲が真紅の火を吹くのを、かれははっきりと見た。追われる女の真横をすり抜け、砲弾が一直線に突っ込んできた。メットの中で、自身の悲鳴が鳴り響く中、夢中で飛び出したところで、背中に焼けつくような爆風を感じた。
「ぐわあああああっ!」
路肩まで吹き飛ばされたかれの横を、女のバイクが、走り屋どもが、そして掃討車がすり抜けてゆく。血の味のする唇を噛み、黒竜はうなった。ナメやがって。ナメやがって。ナメやがって。どいつもこいつも、おれがただのバイク便だと思って、ナメやがってよおおおお!
渾身の力でバイクを引き起こした。荷箱が外れて、ごとりと転がった。が、さいわいエンジンは無事らしく、かれの怒りに応えるように、単気筒の雄叫びを上げた。
竜の雄叫びを上げた。
かれは路上に飛び出し、黒煙を上げているトラックの残骸を踊り越え、ナメた野郎どもの跡を追った。
涙と鼻血と鼻水と涎で、呼吸さえ困難だったが、それでも全開にしたスロットルを握りしめたまま。ブレーキをかけずにカーブを曲がると、膝を覆う鉄の鋲が、路面で火花を散らした。やがて掃討車のグロテスクな背中が、面前にせまった。くるりと砲塔がこちらを向き、また真紅の火が弾けた。
雄叫びを上げて黒竜は突っ込んだ。なぜかこの掃討車は、機銃を装備していないらしく、あんなばかでかい砲で、動き回るバイクをそう簡単に、撃墜できるものではない。
「当たらなければ、どうってことねえんだぞ、こん畜生!」
彗星のごとく掃討車を追い抜き、振り下ろされるバールや鉄パイプを左右にかわして、女のバイクの左側にぴたりと着けた。かれが目を見張ったのは、女が新東亜ホテルのメイド服を着ていたからである。二葉がバイトしているので、その点はチェック済み。見紛うべくもなかった。
メイド服は、あっちこっちが、無惨に裂けていた。太腿の靴下留めが、あらわになっていた。ひたむきに上体を伏せているうえ、硬そうな髪にさえぎられて、顔は確認できない。その左手に握りこまれている、クラシックなリボルバーが、強烈なインパクトで、かれの目を射た。
エイジの銃に似ているが、ちょっと違う。たしか、キングコブラとか言ったっけ……とっさにかれはポケットを探った。取り出した弾丸を女のほうにかざし、叫んだ。
「これを使え! きっと掃討車くらい、吹き飛ばせるやつだ!」
女の肩が驚きに震えた。こちらへ向けられた顔は、真っ白い、ニヤニヤ笑いの仮面をつけていた。