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85(2)

 かれは、八幡二葉に惚れていた。むろん、手を握るどころか、ろくに口をきいたことさえない。それでも、これから八幡商店へ使いに出ると考えただけで、心臓は奔馬のごとく跳ね上がり、血が脳天まで、逆流するのがわかった。

 きっと茹でた甲殻類のように、真っ赤になっているに違いないが、それを察するほど、オヤっさんも奥さんも、鋭敏ではなかった。

「そうかい。行ってもらえると助かるよ。ほら、仕事が片づいたら、ラーメンでも食ってきな」

 しわくちゃの、千サークル札を握らされた。

 鼻唄まじりに表に出ると、バイクのミラーに顔を近寄せ、入念に髪を撫でつけた。合成革の黒いツナギには、無数の鋲が打たれ、とにかくあらゆる部分が尖っていた。ヘルメットにまで、ツノが生えており、真っ黒い風防を下ろすと童顔が隠れ、長身と相まって、いかにも物々しかった。

 この恰好で単気筒の四〇〇CCにまたがり、「隼宅配便」と大書された荷箱を積んで走るのである。走り屋どもには指をさして笑われるし、武装警官には目をつけられるし、ろくなことがないのだが、このスタイルを維持することが、かれなりの「反抗」なのかもしれなかった。

 いったい何に対して反抗しているのか? そう問われると、かれ自身、返答に窮するのだが、「理由なき反抗」に喘ぐのが若者ではないか。男というものではないか。

(そういえば、最近、あの子の顔を見ていないな)

 バイクを徐行させても、五分とかからない。近所でもあり、あのとおりの、活動的な娘であるから、顔を合わせる機会は多い。というより、ローラーシューズでかっ飛んでくる娘を、すんでのところで避けるのが、かれの楽しみであったのだが。たしかにここ数日、お転婆娘の勇姿を拝んだ記憶がない。

 八幡商店一階のガレージは、相変わらず半分だけ開いていた。

 メットを脱いで、すっかりぺちゃんこになった髪を、再び奮い立たせながら、かれは何気なく、屋上を見上げた。いかにも無理に建て増ししたペントハウスには、マッドサイエンティストが住み着いているという噂である。入り口は今日も固く閉ざされており、それでも、四六時中カーテンを閉ざした窓からは、夜どおし、怪しげな光が洩れてくるのを、かれは知っていた。

 奥さんが井戸端で仕入れた噂によれば、真夜中に、若い女の呻き声を聞いた者もいるらしい。

(まさか二葉ちゃん、あそこでみょうな実験台にされてるんじゃないだろうな)

 数日前に、路上のイーズラック人から買った、いかがわしい漫画雑誌に、そういった倒錯的な話が載っていた。うしろめたさを覚えながら、そのデュラン・デュランとかいう名の、変態博士に実験される娘の絵に、二葉の面影を重ねて、自慰せずにはいられなかった。果てた後の虚無感は、底の知れぬほど深かった。

 気を取り直し、合成革の下で煩悶する逸物をなだめすかしつつ、黒づくめの若者は、半開きのシャッターをくぐった。

「やあ、竜くん。忙しいところ、すまないね」

 ガラクタにはさまれた薄暗い通路から、八幡兄弟のうちの、どちらかがあらわれた。帽子を後ろ向きに被っているし、物腰が柔らかいので、「弟」のほうだろう。

 気さくな兄に輪をかけて、威丈高なところがまったくない。始終、愛想よく笑っているにもかかわらず、ある種の気後れを感じずにはいられなかった。ウラの人間が醸す、覆うべくもないインパクト。イカレた恰好をしてはいても、所詮、黒竜は最も善良な小市民の一人に過ぎない。

 辺りを見わたしても、目当ての妹の姿はなかった。もっとも、この迷路じみたガレージの中では、数十センチの距離でも、気づかない可能性があるが。まるでかれの失望を見透かしたように、一彦は肩をすくめた。

「ご覧のとおり、ぼく一人さ。兄さんは部品漁り。二葉はアルバイト」

「バイト? たしか、新東亜ホテルの」

 たしか、も何も、彼女のメイド姿が見たくて、再三周囲を、うろついたことがある。むろん、毎度門番に睨まれただけで、すごすごと退散していた。

「そう。冬休みに入ったとたん、泊り込みで稼ぐんだとさ。それでお洒落でもするんなら、可愛げがあるんだけどね」

 溜め息まじりにそう言いながら、一彦は、紙製の小箱を数個、無造作に並べた。

「こいつをエイジさんに届けてほしいんだ。本当は、ぼくが行くべきなんだけど、ちょっと野暮用ができちゃってね。これから出かけなくちゃいけない」

 箱に印刷された横文字は、どこの国の言葉とも知れず、手書きの数字や文字が、至るところに書きこまれ、変な記号のシールが貼りつけられていた。紙の色はすっかり褪色して、ところどころ、血痕をおもわせる、どす黒い染みが見受けられた。

 おっかなびっくり手にとると、ずしりと重かった。

「銃弾……スか?」

「ICM十七式、超小型徹甲弾。と言っても、竜くんにはわかるまいね」

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