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 バイク便の黒竜は荒れていた。

 どうしようもない気分。どうしようもない苛立ち。月に一、二度ほど、思い出したように、こんな気分に陥ることがあった。

(何かスカッとすること、ねえかな)

 これはかれの口癖であるが、その日は意識するのが追いつかぬほど、のべつ幕なしに、つぶやいていた。浴びるほど酒でも飲めば、「スカッと」するのかもしれないが、体質的に飲めない口。煙草は吸うが、これはポーズで、あまり旨いと感じたことがない。

 女遊びとは、ほとんど縁がなかった。本多平八郎忠勝のような、恐ろしげな黒づくめでバイクに跨っているものの、メットをとれば、本人も気にしている童顔で、事務員の女と目が合うだけで赤面する始末。かといって、商売女に入れあげるほど、金もなかった。

(ちくしょう。何かスカッとすること、ねえかな)

 三度の飯より、バイクに乗っているのが好きである。

 だからこの商売を選んだし、自分に合っていると感じる。それでも、ダサい荷箱を積んで、せせこましい路地から路地へと、うつろう毎日を続けるうちに、言い知れぬやりきれなさが募ってくるのを、どうすることもできずにいた。

(でも、走り屋には、なりたくねえし……)

 バイクをひたすら酷使する走り屋たちを、黒竜は心の底から軽蔑していた。ひたすらバイクをレイプして、腰を振っているだけの、気の触れた猿ども。いったい、一台のバイクがレースに参加するために、どれほど多くのスタッフがついていると思っているんだ? かっ飛ばすのは勝手だが、かっ飛ばすためには、相応のケアが必要なんじゃないか。

 女と同じように。そうつぶやいて、女と縁の薄い若者は、独り赤面した。

 それでも黒竜自身、おのれの「テク」には、かなり自負するところがあった。この商売を始めてから、さらに磨きがかかったと感じる。違法駐車に不法投棄。予期せぬカーブに、奇想天外な袋小路。さらに次から次へと飛び出してくる、人、チャペック、軽車両。そんな地雷原にも等しい路地を、四六時中走っているのは、ダテじゃない。

(意味ねえけどさ)

 またしても、虚しさに襲われて、溜め息をついた。単なる自己満足。あら、いつも早いのね、と、得意先のおばちゃんに誉められるのが、関の山。苦行に等しい悪路で、ひたすら腕を磨いたところで、何になる? 舞台が欲しい。おのれの才能を、思う存分発揮できる舞台が。拍手喝采を惜しまない観衆が。

 ブラボー! 黒竜、ブラボー!

「よお、竜。早かったな。申し訳ないが、昼飯前に、もうひとっ走りしてくれるか?」

 事務所に帰り着いたとたん、現実に引き戻された。

 せせこましい路地の一角。豆腐屋と簡易充電屋の間に、身を隠すようにして、「隼宅配便」の事務所は建っていた。オフィスというのは名ばかりで、仰々しい看板と、細長い駐車スペースに停められた第二種軽トラがなければ、古ぼけた民家と見分けがつかない。

 従業員は、経営者でもある、オヤっさんと奥さん。事務員が一人と、あとは黒竜だけである。たまに中学二年生の息子が、段ボールを自転車に積んで、近所までお使いに出ていた。荷物の中身は、ほとんどが闇商品で、小規模な業者は当局に目をつけられ難いため、それなりに重宝されていた。

「いいスけど。急ぎなんスか?」

 苛立ちが声にあらわれないよう注意しながら、日焼けした髭面に尋ねた。どうせなら、ドームを越えて、汚染地帯を横ぎって、どこまでもどこまでも、突っ走らせてくれないだろうか。かれは一度もお目にかかったことがないが、荒野にうようよいるという、イミテーションボディとやらを、スピードで煙に巻いたら、さぞかしスカッとするだろう。

 そうすれば、粋がっているくせに、ドームを一歩も出ない走り屋どもとは違うところを、世間に見せつけてやれるだろう。走り屋どもは恥じ入って穴に隠れ、人々は喝采を送り、女たちは羽の生えた花束のように、胸に飛び込んでくるだろう。

 ブラボー黒竜! 男の中の男、ブラボー!

「いやあ、急ぐ程でもねえんだがよ。八幡さんところには、いつもよくしてもらってるからな。まあ、おめえが飯を食いたけりゃ、後にしても構わねえけどよ」

 オヤっさんは、律儀に被り続けている赤い帽子ごと、頭を掻いた。何百年も昔からある、同業者組合の、これがシンボルだという。

 八幡、という一言で、若さゆえの苛立ちやら何やらが、一瞬にしてかっ飛んだ。奥さんが差し出した番茶を一気飲みして、思わず噎せた。

「げほっ、おっ、おれ、行くっスよ! 汚染地帯までだって、走って来るっス!」

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