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83(2)

 外の喧騒は、どうしても半年ほど前の、クーデターの夜を思い起こさせる。

 鳴り響くサイレン。破裂音と怒声。乱射される自動小銃。そうして、腹に響くような爆発音。窓から外を覗くと、遠くで建物が火を吹いており、火の粉を吹き上げる夜空で、怪物じみたサーチライトが交叉していた。

 いや、政権交代など日常茶飯事の世の中だ。首長連合による政権奪取時は、クーデターどころではなく、ほとんど内戦状態を呈していた。

 本人は話したがらないけれど、エイジはこのとき、傭兵として戦闘に参加したらしい。二葉は少女だったとはいえ、むろん当時の混乱は、よく覚えている。半年前とは比較にならないほどの混乱。それでもなお、あの夜の記憶ばかりが呼び覚まされるのが、我ながら不思議だった。

(銃声?)

 空耳だろうか?

 クーデターの夜の記憶が引き起こした、幻聴に過ぎないのか。けれどもその音は、みょうに近くから聞こえなかったか。

 不安が引き起こす条件反射で、二葉はとっさに壁の時計を見上げた。汚染指数を示す計器などと並んで、古めかしい時計の文字盤は、二一時を一分だけ回ったところ。身を起こしながら、鳥辺野霞美に目を向けたとき、彼女はそれが決して空耳でなかったことを理解した。

 霞美は、怯えた小動物のような目をしていた。

「なんだと思う?」

「ボイラーが破裂したのかもね。ここの設備は、何もかも旧式でいけないよ」

 答えたのは明らかに霞美ではなく、ただ声ばかりが、うつろに反響するのだ。また頭をぶつけそうになったが、亡霊の類いでない証拠に、その声には聞き覚えがあった。

「恵理子さん……いたの?」

 ベッドから這い出して、腰に手を当て、隣のベッドの上段を見上げた。布団がもぞもぞと蠢いており、硬そうな黒髪だけが食み出していた。今に至るまで、二葉は赤間恵理子の顔を、まともに拝んだことがなかった。

「いたの、はないだろう。ルームメイトを、何だと思っているんだい。まるで部屋に住み着いた幽霊みたいな、扱いじゃないか」

 あくび混じりにそう言って、布団の中でひとり、くっくっと肩を震わせた。亡霊というより、妖怪に近いと二葉は思う。

「ボイラーが必要なのでしょうか。このホテル、暖房すら入ってませんよね」

 と、至極まっとうな質問を浴びせたのは、霞美だ。正確には「別館では」と言うべきで、本館は普通に暖房されているのだが。赤間恵理子は、布団の中で乾いた笑い声をたてた。

「暖房だけが、ボイラーの役目でもないだろうさ。ひところ、蒸気機関みたいな、アナクロな動力源が、見直された時期があったみたいで。このホテルのヴィクトリア朝趣味とも、合致したんだろうね」

「でも、ボイラーが吹き飛んだら、大変なことになりませんか。それこそ、こんなところで、悠長にお喋りしている余裕なんか、とてもないくらい」

 彼女の反論は、なぜか不気味な残響を、二葉の耳に残した。本当に自分たちは、「お喋りしている余裕なんか」あるのか。

「これはわたしの言い回しが、よくなかったね。配管の一部が、というくらいの意味だよ。この雨の中、外に引きずり出されたのでは、技師もたまらないね」

 外、ではなかった。あの音は、建物の中から聞こえた。と、自分でも理由のわからぬ意固地さで、反駁しようとしたとき、唐突にドアが開いた。

 反射的に顔を向けて、思わず息を呑んだほど、キャンディーは全身ずぶ濡れだった。金色の髪の毛も、むろん、しとどに濡れて、まるで嵐の中をさまよっていたように、乱れていた。袖といわず、スカートといわず、滴をしたたらせ、ちょっと立ち止まっている間に、床に水溜りを作った。

「だいじょうぶですか?」

 こんな時も機転の効く霞美が、素早く洗面所へ走った。差し出されたタオルを、キャンディーはしばらく、無感動に見つめていたが、やがて礼も言わず受けとると、頭を掻き回し始めた。

「ウィッグじゃなかったのね?」

「え?」

「髪の毛」

 わざと皮肉めかして言ったのは、多少なりとも、不安を払拭したい一心だったのかもしれない。日頃が日頃なだけに。そうして、こんな夜だからなおさら、キャンディーの常ならぬ態度は、居たたまれなさに拍車をかけた。いつもどおり、笑い話で済ませてほしかった。

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