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 ほんの一瞬だったが、キャンディーの顔に狼狽が走るのを、二葉は見逃さなかった。すかさずコーヒーをひと口すすったのは、気を落ち着かせるためだろう。

「世の中には、知らないほうがいいことがあるものよ」

 煙に巻こうとした言葉も、霞美の真摯な眼差しに、跳ね返された様子。さしものキャンディーにとっても、この娘は手強いらしい。

「あなたたち、七階まで上ったことがあるかしら」

 霞美が二葉を見、二葉は首を振った。シーツ係のメイドたちの間でも、七階は開かずの間ならぬ、「開かずの階」として有名だった。

 従業員用のエレベーターも六階止まり。裏階段も防火・防ワーム用ドアで封鎖されていた。それは表の階段も同様である。唯一、客用エレベーターに七階の表示があるが、二葉が試しに「七」のボタンを押してみたところ、外からも中からも、まったく反応しなかった。

 ただの倉庫や、空きスペースでないことは、わかりきっていた。広大なスイートがあるらしい。長逗留の客がいるらしい。といったところへ、おおかたの意見は帰結するのだが、機械室ではないかという説もあり、それなりの裏づけと、説得力を持っていた。

 例えば、六階のエレベーターホールで、たまたま通りかかったあるメイドが、「七」の数字が点灯していることに気づいた。メイドが客用エレベーターを使うことはないが、好奇心から、そのメイドは逆三角のボタンを押して、待っていた。やがてゴンドラは六階で停止し、ドアが開いた。

 ごわごわした防護服にヘルメットを被り、ガスマスクをつけた人物が一人、乗っていたという。

 そのメイドは恐れをなして、言い訳もそこそこに退散した。とてもその異装の人物と、二人きりで、ゴンドラに乗る勇気はなかった。つまりその人物は、「技師」ではないかという解釈なのだ。むろん、表向きは禁止されているが、多少の放射線を吐き出す動力をそなえた施設は、ざらにあるのだから。

 あるいはまた、

(ね、二葉さん。このホテル、暖房ではなく、冷房が入っていますよね)

 昨日霞美に指摘されて、初めて気づいた。この事実は、ホテルのどこかに、高い熱源があることを示している。本館では、たしかに暖房が入っていたから、別館のどこかにそれはあるのだ。それほどの熱源は、地下に埋もれているのでなければ、「開かずの階」にあるとしか考えられなかった。

 二葉自身は、エイジのような「どうしようもないロマンチスト」ではないつもりだ。七階に得体の知れない宿泊客がいると想像するよりは、機械室と考えたほうが合理的に思えた。秘密にされているのは、「多少の放射線を吐き出す動力」が用いられているからだ、と。

 けれど別のメイドによれば、宿泊客の有無はともかく、七階の広大なスイートは、確かに存在するらしい。彼女は新東亜ホテルが提携するクリーニング店と顔見知りであり、また、ホテルじゅうのシーツが集まる、リネン室から回されてきていた。

 そして彼女によれば、リネン室から運び出されるよりも、大量のリネンが、別館からクリーニング店に届いているという。七階に部屋があると想定しなければ、計算が合わないという。

(そのシーツにはほとんど、血みたいな染みがついているらしいのよ)

 色っぽい話題と思い込んで、嬌声をあげるメイドもいたが、二葉は眉をひそめた。

 防護服にガスマスクの「技師」と、血に染まった大量のシーツ……いったい七階には、何があるというのか。

 そうして、「夜間支配人」亜門真が、あっさりと七階の客について言及したのは、昨日の話。こうもあっさり白状されると、拍子が抜けたが、あらためてキャンディーの動揺を目の当たりにすれば、やはり尋常ではない。何かある、としか思えない。

「じゃあ、そういうことで。行きましょうか」

 不意にキャンディーが席を立ち、二葉は目を剥いた。

「ごまかすにも程があるわ!」

「だって、わたしも行ったことがないのだもの。あそこに関する噂なら、好奇心旺盛なあなたのほうが、よく知っているんじゃなくて? それにいずれにせよ、『試用期間』が終われば、あなたたちは七階へ上がるのだから」

 トレーを手に、背中のリボンを揺らして、さっさとカウンターのほうへ歩いてゆく。忌々しげに見送る二葉の隣で、まるで無頓着に、霞美が言う。

「この卵、美味しかったですね」

「はいはい、そうね。同じクロック鳥の卵を焼くだけなのに、一流ともなると、違った味がするものね」

 投げやりに答えたところで、霞美の驚いたような視線とぶつかった。

「鶏卵でしたよ」

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