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亜門は言う。
「浴室の状況を、詳しく教えていただけますか」
無意識に胸を押さえた。訊問されているようで、気後れしてしまう。被害者はこっちだといえるのに、過ちを犯したような気がしてくる。メイドの恰好をしているから、なおさらに。
口ごもっている二葉の隣で、霞美がはきはきと答えていた。
「水が出しっぱなしで、浴槽から溢れていました。お湯ではなく、たしかに水でした。灯りがついていて、隅々まで見わたせましたが、ワームはおろか、染みひとつなかったかと記憶します」
「閣下が入浴された形跡は?」
「ありません。いえ、少なくともわたしはそう感じました」
霞美の視線を受けて、二葉もうなずいた。ダラウドは、食事のときと同じスーツを着ていたし、浴室に残っていたのは、さんざん拭わされた、除菌布のにおいだけだった。
「八幡さんは、お疲れなのでしょうか。宇宙戦闘機を駆っていたときの、あなたらしくありませんね」
言われて初めて、冷たい汗を背中に意識した。なぜ急に気が滅入ったのか、自分でもわからない。おそらく、ダラウドのことで「訊問」されているという、この状況が苦しいのだ。過去に警察に捕まったとか、そういったトラウマはまったくないのだが。
むしろ「この感じ」は、過去に基づくのではなく、イヤな予感そのものではあるまいか。例えば、エイジのような害虫屋が、ワームだらけの屋敷の門を潜ったとたん、総身が粟立つような。
つとめて無表情を装っていた五十嵐冬美の目が、宇宙戦闘機の一言とともに、カッと見開かれた。本来は、表情豊かな女なのかもしれない。むろんメイド長は、二人がゲーム屋で「拾われた」事実を、知らされていないのだろう。
二葉の沈黙を受けて、亜門は語を継いだ。
「本当にワームがあらわれたのであれば、一大事ですから、一応は、わたしのほうでも調査しなければなりません。ですが、おわかりのとおり、閣下は極めて神経質ですからね。部屋替えや、立ち入っての調査をお願いすれば、事を荒立てるだけでしょう。率直に申して、八幡さんは、どう感じられましたか」
「どう、と言いますと?」
「ワームの一件は、ダラウド閣下の狂言かどうか、ということです」
思わず目を伏せた。睨み合いではまず負けない、たしかに彼女らしくない反応といえた。
「わたしには、何とも言えません。ダラウドは、いえ、閣下は動物愛護団体に命を狙われていると、その……思い込んでいました」
「ほお。もしかして、昨夜も外で騒いでいた?」
「サイレント・スプリングです。はっきり聞いたわけではありませんが、要するに、その団体がワームを送りつけたと、そう考える以外、辻褄が合わないようです」
エイジと電話で話した、それが一応の結論である。薔薇の花で顎をさすっている亜門の隣で、いかにも耐えきれなくなったふうに、メイド長が口を出した。
「そんなはずはありません。ゴクツブシはおろか、ネズミ一匹、このホテルで見かけた者がいたら、お話をうかがいたいものです。わたしが管理しているのですから。このわたしが、この足で、毎日歩きまわって管理しているのですから」
沈黙の中、三人の視線が彼女に集まっていた。興奮がおさまったとたん、メイド長は身の置き場に窮して、煩悶した。亜門は明らかにそれを面白がって、わざと沈黙を引き伸ばしている様子だ。冬美は紅潮した顔ごと、深々と折り曲げた。
「申し訳ございません。つい……」
「構わないさ。きみが月に三度も靴を買い換えていることくらい、耳に入れていますよ。きみたちには、この花が何だかわかりますか?」
真紅の薔薇を不意にかざされ、二葉と霞美は首を振った。
「これは、今朝、五十嵐くんが、ロビーの花瓶の中から、一本だけ引き抜いた花なんです。知ってのとおり、ゆったりとした白磁の花瓶に、百本は生けられているだろう薔薇の中から、この一本だけね。それも一瞬にして」
「い、傷んでおりましたから」
「わかっています。たまたまそれを見ていたわたしが、記念にもらい受けたというわけで」
またしてもハ長調の美声で、「夜間支配人」は笑い声を響かせた。