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ポーカーフェイスは、あまり得意ではない。だいたいほとんど、顔に出る。単純ばかなのだから仕方がない。もとよりカンの鋭い二葉のこと、おれの動揺を見逃すわけがなかった。
「何かあったわね」
しかし考えてみれば、隠す理由も存在しない。むしろ、おれ一人の頭では処理できずにいたのだから。訊かれなくても、こちらから話していたかもしれないのだ。
たいして長い話でもなかった。
いきなり刷新の武装警官があらわれ、レイチェルのことを訊いた。隣室はすでに藻抜けの殻だった。武装警官たちが、なぜレイチェルを探していたのか。そしてまた、なぜ彼女が忽然と消えたのか、それはさっぱりわからない。
話し終える頃に、ちょうどアマリリスが食事を運んできた。少女が補助的に食物を必要とすることを聞いていたので、自分のぶんも用意するよう言ってある。メニューはパンにオムレツにサラダ。シンプルな料理ほど腕前が問われるものだが、山ポッドの一件で舞い上がっている一朗が「旨い」と感動した時点で、保証されたといえるだろう。
四名とも、それぞれの理由で腹を空かせていたらしく、昼食は黙々と、速やかに進行した。食後にアマリリスが用意したのは、いかにも濃く淹れたコーヒーだった。
「これまで、レイチェルさんの部屋に入ったことは?」
香りを楽しむのか、カップを手にしたまま、二葉が尋ねた。多少、猫舌であるらしく、そういえば、目つきや仕ぐさもどこか猫をおもわせる。
「あるわけがない。ドアがちょっと開いていたくらいじゃ、簡単に部屋の中が覗けないのは、ここと同じさ」
「じゃあ、もとから部屋の中が、あんなふうだった可能性もある、と」
ゾッとしないアイデアだ。
が、たしかにベッドだけはあったのだから、外で食事を済ませるなりすれば、あんな寒々とした部屋でも、住めないことはない。衣類を詰めた手荷物ひとつで、いつでもドロンできるだろう。レイチェルは、いつか手入れがあることを予期しながら、隣に隠れ住んでいたというわけか。だが、しかし、
「わざわざ、おれの隣に部屋を借りた理由がわからない。空き部屋なら腐るほどあるんだし、おれ自身、この階のどこにどんなやつが住んでいるか、それさえ全く把握していない。つまりこの雇用促進住宅なら、他の住人に気づかれず隠れ住むことは、そう難しくはないってことだ。なのに彼女は、部屋に虫がいるようで怖いと言った。今度調べてくれと言ったんだぜ」
「ついでに、おっぱいも調べるつもりだった?」
「そりゃまあ少しは……いや、だから、おかしいだろう。最初からドロンするつもりなら、部屋に虫がいようがミノタウロスが出ようが、怯える必要はない」
「演技だったと考えるのが妥当じゃない? ゆうべ彼女がエイジさんに抱きついて、サミダレムシに追いかけられたと言ったときも、演技くさかったんでしょう」
「何者かに追われていたのは事実だよ。ただ、それは虫じゃないと感じただけだ。どうしてもおれには、彼女がおれと関係を持ちたがっていたように思えるんだよ」
「助平」
「いや変な意味じゃないぞ。おれの助けを必要としていたのは、嘘じゃない気がする」
「ほんと、男ってみんな、うぬぼれ屋なんだから」
冷徹に言い放って、コーヒーを口へ運んだ。いつも思うのだが、本当にブラザースより八つも年下なのだろうか。ものすごく頭が切れるし、落ち着いている。まあ、おっぱいはアマリリスといい勝負だと踏んでいるが。そうして竹本ワットという、二葉に輪をかけて早熟な小僧を知っているのだが。
とはいえ、次の二葉のセリフには、たちまち脳髄を吹き飛ばされた。
「監視カメラを仕掛けてはどうかしら」
「どこに?」
「決まってるじゃない。隣の部屋よ。まだベッドが残っていたんだから、レイチェルさんが戻ってくるかもしれないってことでしょう。もしかしたら、運よくたまたまいなかっただけで、武装警官が踏みこんだことさえ知らない可能性も、ないわけじゃない。ちょっとカゼ気味でとか言ってさ、何食わぬ顔で訪ねてくるかもよ」
おれが絶句している間にも、二葉は一朗にトラックから機材を運んでくるよう指示している。兄の威厳のカケラもない動作で、一朗は階下へ走り、油で汚れた段ボールごと、機材をかかえて戻ってきた。そもそも、なんでトラックに監視カメラを一式積んでいるのか、理解に苦しむ。
アマリリスは鼻歌まじりに食器を洗っていた。よく聞けば、ワーグナーの『タンホイザー』序曲であった。おれは思考停止状態のまま、かれらについて部屋を出、再び隣室に侵入した。むろん誰もおらず、ひととおり点検した二葉の驚くべき発言を、どこか遠くのできごとのように聞いていた。
「カメラは寝室と浴室に仕掛けるわ」
「なんだって?」
「居間に仕掛けたって意味がないもの。覚えておいてね、エイジさん。女が隠れて何かするときは、必ず浴室を使うものよ」