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気が触れているのは、どっちだろう?
そんな疑問が、プラズマの亡霊のように、二葉の脳裏をよぎった。問わず語りに、神経質な「閣下」は続けた。
「あいつらは、動物愛護団体の名を騙るテロリストです。あんな連中と裏で手を結んでいるのですから、この国の新しい政府もまた、テロ政権ですよ」
「手を結んで?」
覚えず尋ね返した二葉を、猛禽類の眼差しが睨みつけた。化鳥のような怒鳴り声といい、この男の身に備わった威圧感には、どうしても馴染めない。無防備な原始人が猛獣を恐れるような、本能的な嫌悪と恐怖感を、掻きたてられる。
それに同じ不用意な一言にしても、霞美と彼女では、受け止められかたが一八〇度違うらしい。見る間に気圧が下がるように、かれの機嫌が悪化するのがわかった。
「テロだテロだと叫んでいる者こそ、最悪のテロリストじゃありませんか。こんなばかみたいな常識を、いちいち言わせないでください。そもそも、あなたたちだって、連中の手先でないとは限りませんからね」
言っていることが支離滅裂である。次にダラウドが上着の内に手を入れたときには、ぎょっとせずにはいられなかった。狂人に射殺されてはかなわない。が、取り出されたのは仰々しいライターで、かれはおもむろに、葉巻に火をつけた。
あるところには、あるものだ。煙草を吸わない二葉にも、今灰になろうとしている数センチが、一、二万サークルはするであろうことが知れた。やはり屈託なく、霞美が尋ねた。
「どんな理由で、閣下は狙われていらっしゃるのですか」
二葉は、顔が引きつるのがわかった。
してはいけない質問の、最たるものではないか。今に顔色を変えて怒鳴り始めるか、あるいは発砲に及ばぬとも限らない。いつでも霞美の手を引いて逃げ出せるよう、心の準備をしていたのだが、ダラウドはなかば目を閉じて、煙を吐いたばかり。霞美の声には、鎮静効果があるのではないかと、疑うばかりである。
「理由なら、腐るほどあるでしょうね。ほとんどは、旧政権の消滅とともに、埋もれてしまいましたが。それでも連中が騒ぐのは、ナノグを警戒するのでしょう」
ナノグ社。ツァラトゥストラ教団系の企業。旧イズラウンの技術を保有し、いかがわしい研究を行っていると聞く。だとすると……二葉の逡巡などお構いなしに、霞美の質問が飛ぶ。
「閣下は、ナノグ社の?」
「無関係だとは言いませんよ。本来、あれはデノア派の支配下にあるべき企業です。けれどもロストテクノロジーの復活を追及するあまり、本来の崇高な教義を見失い、浅ましい技術者に堕してしまいました。聖性を見失った挙げ句、かつてイズラウンで何が起きたか。そう、あれの二の舞ですよ。わたしは断じて、ナノグに与する者では……」
うわ言のようにまくし立てたあと、急に我に返ったように、目を見開いた。腰を浮かせて、まだ半分も吸っていない煙草を、いらいらと揉み消し、またソファに身を沈めた。
「擬人、というものをご存知ですか」
唐突な質問。そのあまりにまがまがしい単語に、二葉は目を見張った。
擬人。極めて謎が多く、ほとんど解明されていないが、一部の特殊能力を有するIBが、護身のためにこれを用いると考えられている。エイジが処理班を去った原因。発狂寸前まで追いつめられるほど、癒しがたい傷を心に刻まれ、今も苦しみ続けていると、兄たちから聞いた。
さすがに黙りこんでいる二人を尻目に、ダラウドは語を継いだ。まだどこか憑かれたような口調で。
「あれを研究している技術者どもがおりましてね、別のプロジェクトの副産物なのですが、なに、お伽話ですよ。お伽話でなければ許されないものを、また高く買いたがる連中がおりましてね。いずれにせよ、我々としては、少なくともこのわたしは、そんな世界なんか望んじゃいません。とても神経が、持ちませんからね」
「それは、どんな世界でしょう」
「悪夢ですよ。手袋を裏返すように、夢と現実が引っくり返ったような。考えられますか、あなた。壁が話しかけ、街灯が笑い、ドアがみずから手を差し伸べる……」
「キュノポリス」
霞美の言葉が信じられず、二葉は覚えず振り仰いだ。瞬時であったが、驚愕の表情が強いて掻き消されるのを、彼女は見逃さなかった。
ダラウドは弾かれたように立ち上がり、ふらふらと窓辺に近づいた。わずかにこじ開けたカーテンの隙間から、夢中になって外を覗いた。置き去りにされたまま、二人は無言でたたずむ以外なかった。やがて振り返り、硬い声でかれは言う。
「連中はいなくなったようです。下がってよろしい」
その窓からは、常緑蔦の這う、老朽化した壁しか見えないのではなかったか。けれど耳を澄ますと、たしかに喧騒は聞こえなくなっており、二人は一礼して部屋を後にした。廊下に出たとたん、大きなプラズマの蛾が、薄闇をゆうらりと横ぎり、消え失せた。