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そんなシャツは頼まれても着たくない。
とは思うものの、例えばゲノムを書き換えて、ナマコの皮膚からアーマードワームなみの硬さが得られれば、確実に軍事利用できる。
「まるで……」
ある言葉を、二葉は飲みこんだ。耳ざとく聞きつけて、キャンディーが口をはさんだ。
「なにかしら?」
「わかっているなら、言わせないで」
イミテーションボディという「兵器」の、そもそもの発想と、極めて近いのだ。無機物に生命を与えるのと、生命を無機物のように扱うのと、どちらがより罪深いのかは、置いておくとして。
「でもいったい、だれに向かって叫んでいるというの? この辺りに、そのての研究施設なんてあったかしら」
施設といえば、サイキックたちが、汚染地帯に隔離されているという噂を、聞いた覚えがある。いずれにせよ、そのての怪しげな施設は、「ドーム」の外にあるものと、相場が決まっている。
もっとも、百キロの重炉心弾なみの危険物に等しい、相崎博士を二階にかくまっている、彼女の兄たちのような例外はあるにしても。だからもし、SSだかS2だかが、彼女の家の近所で叫び始めたとしたら、拡声器が向けられているのは、確実に八幡商店であろう。
雑誌を一項めくって、キャンディーは言う。
「ないわ。だから、不思議なの」
「偽装?」
「頭の回転の速い子ね。おおっぴらに騒いでいるのは、強盗でもやらかすつもりで、トンネルを掘っているのを、ごまかすためだとか。でも本館の保安係から聞いた話だと、団体は本物らしいの。けっこう名の売れた団体だし、もし騙られたら、本家が黙っちゃいないだろうって」
本家そのものが、乗っ取られているとしたら? といった疑問がわいたが、きりがないので黙っていた。しかしこの生田累という女は、よくよく謎が多い。さらりと言ってのけたが、「衛士」の異名をもつ本館の保安係と、別館に隔離されているメイドとでは、そうそう情報交換などできないものだ。
霞美が言う。
「このホテルの近くに、いつもあらわれるんですよね。だとしたら」
「新東亜ホテルが標的ではないか?」
「はい」
キャンディーは、さもつまらなさそうに雑誌を閉じて、また枕もとに放りこんだ。次に霞美を眺めた目は、けれど異様な輝きを帯びていた。
「興味深い意見だわ。でもホテルという所は、動物の持ちこみを、文字どおり毛嫌いするものよ。人間が汚していくだけでも、うんざりしてるのに、そのうえ動物にのし歩かれては、たまらないものね。そのうえ虐待しようなんて、とても手が回らない。もっとも、ナマコの解剖くらいならできるでしょうけど」
別館のレストランやロビー、各階の休憩室などには、確かに水槽が置いてある。本館よりはるかに数が多いし、意識的に設置されているのがわかる。なるほどそれらは、どこか洞窟めいた別館の雰囲気と合っていた。
また上階には、かなり広い温室が設けてあり、多くの蝶が放し飼いされているはずである。
けれど、それを「虐待」と呼ぶには、かなり無理があるようだし、まさか背徳的な研究をするために、蝶や魚が飼ってあるとも思えない。ただ、温室や水槽にまつわる「怪談」は、やはりいくつかあるようだが。
「ですが、例えばお客さまの中に……」
言いかけたところで、霞美はびくりと体を揺すった。二葉にいたっては、ベッドの上段に、したたか頭をぶつけなければならなかった。
左の手首に嵌められた「拘束具」の震動は、意外に激しく、あり得ないとは思うが、直接電流を流されているように感じたほど。混乱している二人を尻目に、キャンディーはまたさらりと言う。
「さっそく、ラブコールが入ったみたいね」
「冗談じゃないわ。ここでは本当にわたしたち、奴隷なのね」
まだ目の前で瞬いている星を眺めながら、二葉は口をとがらせた。