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寝言にしては確信に満ちていたが、寝言と考えなければ、唐突すぎる発言だった。いったい何が、「派手に行われている」のだろう。覚えず聞き耳を立てているうちに、赤間恵理子はまた布団の中で、くぐもった声を発した。
「クーデターの夜を思い出すよ」
演技でもない。と、二葉は心の中でつぶやき、眉根を寄せた。人類刷新会議は決して好きになれないが、かといって、そう頻繁に政権が変わっては、国自体が滅びてしまう。
「本当ですね。外がなんだか、騒がしいみたい」
霞美に言われて、初めて外のもの音に意識を向けた。換気装置の音。配管を水の流れる音。電圧をかけたような重低音など、半地下の室内にわだかまっているので、なかなか屋外から音は届かない。にもかかわらず、たしかに何者かが、拡声器で叫んでいる様子。
「デモ?」
「動物愛護団体よ。ここのところ毎晩、あの調子」
時計に目を遣れば、九時半をとっくに回っていた。こんな時間に、外でお祭騒ぎをやらかすなんて、集会が厳しく禁じられていた旧政権時代には、考えられなかった事態だ。いや、刷新会議だって、表向きはある程度の自由を認めながら、まず絶対に許可しないのではあるまいか。
「いつも偉そうな武装警官たちは、指をくわえて見てるわけ?」
「そ。甘いのよね、愛の字がつく団体に対しては。似たようなスローガンをかかげている建前上、さすがに強制排除というわけにはいかない」
自由・平等・友愛、であったか。刷新会議のスローガンは、フランス革命政府のそれを、そっくり模倣したものだ。ついには断頭台でみずからの首を切り落とし、ナポレオンという独裁者の舞台を用意した、血塗られた政府の。
何を叫んでいるのかわからない。拡声器の声は、何キロも先の洞窟の中でこだまを返すように、くぐもっていた。まるで亡霊が叫んでいるようだと考えて、二葉はハッとした。
本当に動物愛護団体など存在するのか。あれは、ホテルをさまよう亡霊どもが、うめいている声ではないのか。
「近いの?」
震える声で尋ねると、キャンディーは気のなさそうにうなずき、自身のベッドに腰をおろした。枕元から雑誌を引き抜き、これも気のなさそうにめくり始めた。ファッション誌かと思えば、少女趣味的なイラストと詩の雑誌。それも相撲横丁の路地でおじさんたちが売っているような、だいぶ古い号である。
「玄関を出て左に行った所に、マンションの跡地があるでしょう。今はライオンの銅像しか残ってないけど、毎回、あの辺りに陣取っているわ。一応、本館のほうでは警備員を増やして、内と外を見回らせているみたい。こっちは相変わらずだけどね」
沈黙の中、彼女がページをめくる音が、遠くの喧騒を掻き消した。かれらが何を要求して叫ぶのか、本来なら知ったことではないけれど、二葉はなぜか、みょうに引っかかるものを感じた。
「何という団体が、何を要求しているのかしら」
「サイレント・スプリング。略してSS、もしくはS2」
「沈黙の春?」
「そう。古い啓蒙書にちなんだ団体名ね。叫んでいる内容は、バイオ・ミミクリー反対運動ってとこかしら」
なかば無意識に、二葉は霞美を見た。彼女の父親が理系の大学教授であることを、思い出したからかもしれない。その意を悟ったらしく、持ち前の律儀さで霞美はこたえた。
「生物模倣、でしょうか。本来は、動物の生態からヒントを得て、ものを作り出すことを意味します。例えば、ナマコ、という生きものをご存知ですか」
「そんな高級料理、もちろん食べたことないわ。解凍前の遺伝子だけでも、天然石なみの値段で取り引きされているとか」
「はい、それです。生きた姿は、今のゴクツブシに似ているのですが、身の危険を感じると、瞬時に皮膚を硬くして、鎧のようにできるんです。これを研究して、普段は薄くて柔らかいけれど、ボタンひとつで鉄のように硬くなるシャツを開発した人がいました。こういうのが、本来の健全なバイオ・ミミクリーです」
「健全、ねえ」
科学者や発明家には、だれかみたいな変人が多いらしい。呆れている二葉を尻目に、彼女は語を継いだ。
「問題にされているのは、ナマコのシャツを例にとりますと、本当にナマコの皮膚を培養して、シャツに用いるような場合です。これは明らかに動物虐待にあたるのではないか、というのが、SSさんの主張なのでしょう」