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ジャスミンティーは邪道、というのが、キャンディーこと生田累の主張であるらしい。
「低級な茶葉の味をごまかすために、香りをつけるわけでしょう。まるで、香水のにおいをぷんぷんさせている女みたいに。下品だわ」
二葉は、けれどなかば上の空で、彼女の弁論を聞いていた。心身ともにへとへとで、とても議論する気になれない。代わりに口を出したのは、霞美である。
「わたしは好きですけど。むしろ、ハーブティーの一種だと考えれば、抵抗なく頂けるんじゃないでしょうか」
「ハーブはね、香りが強いと言ったって、野の花の可憐さがあるわ。でもジャスミンときたら、まるでぺらぺらの、安物のワンピースみたいじゃない」
「きっとキャンディーさんは、人工香料のイメージで、ジャスミンを貶めているのだと思います。茉莉花という漢字も素敵ですし、現地では、ヤスミーンと発音するのでしたか。湿度の高いこの国には合いませんけど、乾ききった土地で出会えば、こんな涼しげな花はないのかもしれませんよ」
「興味深いわね」
キャンディーは、霞美の意外に爽やかな弁舌に感心したようだが、二葉は呆れるばかり。この娘、自分と同じか、あるいはそれ以上の労働をこなしておきながら、まだ弁論大会に参加できる元気があるのだろうか。
グム・ダラウドへの給仕は、凄惨を極めた。厳密に定められた順序と時間に従って、一品ずつ出さねばならず、それにともなう調味料やら器やらが、複雑に絡んできた。キャンディーがカンペを作ってくれていたものの、小皿の位置が逆だの、フォークの歯は四本だのといっては、叱声が飛んだ。
また、簡易消毒機と汚染度カウンターを持ち込んで、いちいち「閣下」の目の前で消毒し、指数を計らなければならず、これがまた気が狂いそうな煩雑さ。もし霞美がいなければ、機械を食卓に叩きつけていたかもしれない。これまでのメイドが、どうやって三日も持ちこたえたのか、もはや不思議でならなかった。
かれの夕食は、一時間半に及んだ。
大食なのではない。口に入れた量をトータルすれば、むしろ小食なのだが、なにしろ細々と皿の数が多いのだ。贅沢とは、こういった食い方を指すのかもしれないと、軽蔑をこめて二葉は考えた。気の遠くなるような食事が終わり、カートを押して五〇二号室を出たときは、拷問部屋から生還する思いがした。
(もうだめ。とても持たない)
半地下の「メイド部屋」へ、命からがらたどり着き、不透明なボトルから直接、大量の水を飲んだ。そのまま下段のベッドに倒れこみ、服のまま横になって、布団を引っかぶった。外界への拒絶を示すポーズ。
霞美は同じベッドの端に腰かけたまま、キャンディーが淹れたダージリンを、旨そうに飲んでいた。
「恵理子さんは、まだお仕事中ですか」
呑気な調子で尋ねたものだ。
そういえば、もうひとつのベッドの上段に寝ていた女……第四のルームメイトは、赤間恵理子と、名のったような覚えがある。
「夢を見るのが彼女の仕事だとしたら、そうとも言えるわね」
「まだ寝ているわけ?」
さすがに突っ込みを入れるべく、二葉は布団から這い出さずにはいられなかった。キャンディーはカップを片手に、軽く手を振ってみせた。
「まだではなく、また、よ。担当のお客の世話を終えた後なんだから、寝るのも自由、踊るのも勝手」
ベッドの上段で起き上がったときも、頭からすっぽりと布団を被っていたので、赤間恵理子がどんな姿をしているのか、二葉はいまだに知らなかった。目の大きな、少女のように小柄な女だったようだが、そう見えただけかもしれない。長逗留している金持ちの老婦人に、いたく気に入られているのだとか。
見上げれば、たしかに布団が盛り上がっており、硬そうな黒髪が食み出していた。
「いいわね、楽なお客を担当できて。その自由とやらは、どうせわたしたちには、一晩じゅう保証されないんでしょう」
そう言って左の手首に触れた。そこに嵌められた細い「拘束具」が、金属の手触りをひやりと返した。いつ鳴り出しても不思議じゃないという確信は、霞美も強く持っているはずだ。
ごそりと、隣のベッドの上段で、寝返りを打つ音が聞こえた。眠っているとばかり思っていた、布団の中の女がつぶやいた。
「今夜も派手に、やってるなあ」