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 理論、と名のる女は、溜め息まじりに微笑み、横座りの脚をくずした。地味なスーツからのぞく白いふくらはぎが、妙になまめかしかった。

「ナノグ社が、元をたどればイズラウンに行き着くことは、ご存知ですか」

「ツァラトゥストラ教自体、そうじゃないか。教団の系列である以上、何の不思議もない」

「ええ。かれらは、旧イズラウンの神官階級の成れの果てだと言われていますからね。ただ、神官にもいろいろあって、バルブの開閉が許された神官は、ごく限られていたようです」

 おれは目を見張った。バルブ、という単語は、こんな無節操な部屋で、無節操に持ち出されるべき言葉ではない。

 旧イズラウンにおいては、神官イコール技師であったと聞く。それはあたかも、鉄の所有が権力の帰趨を決した時代、職人は神に仕える者として、製鉄という儀式を行っていたことをおもわせる。あるいは中世の錬金術師たちを持ち出したほうが、手っ取り早いだろうか。

 バルブ……IBを生み出すためのカナメといわれる装置。錬金術における、賢者の石のようなもの。

 伝説によれば、これを「締めたり緩めたり」できるのは、神官の中でも最高位の者に限られたという。開閉させるだけなら、だれにでもできたはずだが、儀式として神聖視されていたため、みだりにこの特権は与えられなかった。聖化はIBの暴走を防ぐための機能として、はたらいていたわけだ。

 けっきょく何もかも、無駄に終わったのだけれど。ついに「神」は、生命にたずさわろうとする人間の傲慢を、許さなかったから。理論、は語を継いだ。

「ナノグ社は、企業であると同時に、秘密結社としての性格を、強くもっています。かれらの背後に、ツァラトゥストラ教デノア派がついていることは、耳に入っているでしょう」

「超派閥的な派閥、か。教団における、元老院のようなものだと聞いていますが」

「そうです。デノア派はジークムント旅団のような過激派を動かす一方で、旧イズラウン最秘の技術の発掘と保存につとめてきました。いわばナノグ社は、ロストテクノロジーのバンクとして機能しているのです。バルブの開閉権をもっていた、かつての神官たちの地位を、継承しているといえます」

 たとえ不完全な形であれ。と付け足して、理論は床に直接、カップを置いた。

 おれは半ば無意識に胸ポケットを探ったが、あいにく何も入っていなかった。すかさず理論が、書籍が散乱している一帯に手を伸ばし、すぐに一箱探り当てた。まるで森の中から、青い背のカミキリムシを探すほどの確率だろうに。目を円くするおれの前で、彼女は悪戯っぽく、これもどこから出たのかわからない、ライターに点火してみせた。

 なにやら郷愁をさそう、低質ガスのにおい。まだこんなライターを、売っている店があるのだろうか。

「や、申し訳ない」

 煙草は旧政権時代の、これもここ数ヶ月で、闇市からもすっかり消えた銘柄だった。目玉が飛び出るほど高い刷新の正規品より、はるかに旨かった。

「できれば、あんまり考えたくないんですがね。要するに、ナノグ社はここ、BB-33地区のいずこかに、お宝が眠っていると踏んで来たわけだ」

「お宝とは、何だとお思いですか?」

「きみみたく、無節操には口にできない、とでも言っておくよ」

 あるはずのないもの。そこにあってはならぬもの……

 まったくいやになる話だが、必然的に、すべての黒幕は、こいつらだったとしか考えられなくなる。少なくとも、「幽霊船」において、禁断の合成麻薬、クラーケンを密造していたのは、ナノグ社だ。しかしいったい、そこに竜門寺武留が絡んでくるのは、どういうわけだ?

 むろん、竜門寺がツァラトゥストラ教団とつるんでいたとしても、今なら不思議に思わない。とくに武留は、竜門寺真一郎の後継者として最有力視されていながら、何らかの原因で突如、候補から外された。教団との関係が災いしたのか、それとも、外された腹いせに、教団の力を借りようとしたのか。

「いろいろとお考えのようですね」

 理論、と間近で目が合い、あやうく煙に噎せそうになる。

「さっきから、考えるのはいやだと言っている。要するに、きみは動物愛護家として、ナノグ社と争っている関係上、報復を恐れているってことだろう。どんな思想を持とうが、個人の勝手ですがね、とばっちりは御免ですよ。そんなに心配なら、もっと安全な場所へ引っ越すことですな。刷新だって、駆け込めば、市民の保護くらいはしてくれる」

 交渉決裂、という意味をこめて、立ち上がろうとしたところで、ふわりと覆い被さられた。あまりにも柔らかな肉塊が、鉄の枷よりも強靭に、おれを捕らえていた。

「何を……」

「契約書を、お見せしなければいけませんか? ここへ来る前に、竹本商事へお寄りしたと言えば、充分でしょう。あなたはわたしのボディーガードとして、すでに雇われています」

 おれは自身が害虫屋ではなく、何でも屋だったことを、あらためて思い知らされた。

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