75(1)
75
グム・ダラウドの外貌は、二葉が想像したのとだいぶ違っていた。
ターバンを巻き、白いヒゲを腹部まで垂らし、ザゼンを組んで瞑想に耽っている、といった戯画的なイメージと異なり、ただの神経質そうな小男に見えた。とても部屋でくつろいでいる姿ではない、黒いダブルのスーツを身につけ、黒い髪をきっちりと油で撫でつけていた。目つきは猛禽類をおもわせて険しく、鼻もまた嘴のように尖っていた。
肌の色はいくらか浅黒いが、日本人だと言われても違和感がない。ただ、イーズラック人のように、瞳の色素がほとんど抜けていることを除けば。
「身分は確かなのでしょうね」
やはり猛禽をおもわせる、かん高い声でキャンディーに言う。丁寧語であることが、かえって威丈高に響く。
「その点は間違いございません。こちらの鳥辺野は、第三大の教授の娘。八幡の実家は、民間電力会社を経営しております。もしご必要でしたら、身分証をお見せしますが」
霞美のプロフィールはそのとおりだが、二葉のほうは夜間支配人、亜門によるでっち上げだ。まあ、兄たちはモグリで電気も売っているので、まんざら嘘でもないが。亜門は面白がって、贋の身分証まで用意した。
ダラウドはきょろきょろとよく動く、まさに鷹の眼で二人を上から下まで眺めまわし、吐き捨てるように言った。
「それには及びません。ふん、これまでの無能なメイドたちよりは、いくらかマシなんでしょうね」
「努力させます、ダラウドさま」
「閣下とお呼びなさい!」
かれの怒声は、広々としたスイートの隅々まで届くかと思われた。軍隊で号令をかけ慣れている声だと、二葉は感じた。
「失礼いたしました! お許しください、閣下」
キャンディーは瞳をうるませ、即座にひざまずいて頭を垂れた。あと一歩でドゲザというポーズ。
けれど、これは打ち合わせどおりなのである。ダラウドのことを「閣下」と呼ばねばならないのは、部屋つきメイドの間では有名な話。彼女ほど抜け目のない女が、それを忘れるわけがない。最初に軽く怒らせてみるわね、と、片目を閉じて言ったものだ。
ひざまずいてのお辞儀は、西方アジアの古い作法の流れを汲む。これを聞かされたとき、二葉としては、もちろん合点がゆかなかった。
(いやよ、わたし。いくらお客とはいえ、ドゲザさせられるなんて)
(本当に厭なことを、人間は続けられないものよ。古来、地にひれ伏すポーズが広範囲に行われてきたのは、やってみると案外、気持ちいいからじゃないかしら)
(あなたらしい解釈ね。でもわたし、そこまでマゾじゃないわ)
(単純に身体的な感覚において、よ。柔軟体操だと思えばいいってこと)
なるほど、キャンディー自身、身体感覚と精神との間に、常にズレが生じているように思える。何事も芝居がかって見えるのはそのせいだ。彼女はまるでマリオネットを操るように、自身の肉体を操作している。人形がドゲザをしようと靴を舐めようと、人形遣いは痛くも痒くもないように、彼女の精神は無関心でいられる。
紹介を終えると、キャンディーはそそくさと部屋を出た。残された二人は、同時に深々と頭をさげた。猫を被れば、こういった仕ぐさがサマになることくらい、二葉も知っていた。
「よろしくお願いいたします、閣下」
ダラウドは疲れたように、居間の椅子に深々とかけ、指先で苛々と肘かけを叩いた。
「夕食前に、すっかり奇麗にしていただきたいのです。あの無能なメイドのせいで、部屋が埃だらけになってしまいました。このままでは眠れませんし、食事も咽を通りませんよ」
「かしこまりました、閣下」
二人はあらかじめ、消毒液を染みこませた使い捨ての除菌布を、山ほど持参していた。これで一日一度は、部屋の隅々まで拭わなければならないのだ。ダラウドは椅子の上で足を組み、最後まで二人を監視するつもりらしい。
しかし、亜門が「新人だから」という理由で、しぶるダラウドを説得し、メイドを二人に増やしたのは正解だったと言わざるを得ない。始めて五分も経たないうちに、二葉はこの作業の大変さを痛感した。これを一人でやらされたのでは、たしかに三日ともたないだろう。しかも亜門は、増員ぶんの費用をしっかり上乗せしたらしい。
普通に掃除するにさえ、広く感じる部屋である。しかも、ごたごたとアンティークの家具やら額縁やらが、異様に多い。それをいちいち除菌布を取り替え取り替え、引き出しの取っ手の裏まで拭ってゆくのだから、たちまち腰にきた。けれど苦痛に耐えかねて、ちょっとでもぞんざいな拭きかたをすれば、たちまちダラウドの叱声が飛んだ。
その都度、二人とも鞭打たれたように、びくりと背中を震わせねばならなかった。