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 アマリリスに、チェスではぜったいに勝てない。おそらく世界チャンピオンがいるとしたら、そいつよりも強いのではないか。

 そいつが人間であれば、の話だが。

 ジグソーパズルのほうはというと、相変わらず遅々として進まない。夕食後、床にぺたんと座りこんでは、手にしたピースを宙に留めたまま、生真面目な表情で、パズルとにらめっこしている。これでも当初よりは、ずいぶん早くなったほうだと思う。

 ありふれた、そして今ではどこにもない風景のうち、湖だけは、おおかた完成しているようだ。想像するに、少女は完成見本の湖の形を解析し、ピースの形状ではなく、写真の輪郭を手がかりに、すさまじい計算を繰り返しているのではあるまいか。優秀な電子頭脳を駆使して。

 おれはそっと肩をすくめ、区民図書館から借りてきた本に目を落とす。手もとには冷めかけたコーヒーがあり、灰皿の上で、煙草が細い煙を立てている。

 なにもかもが、平和だった。こんな平穏が、おのれに許されていいのかと、恐れをいだくほどに……再び目を上げると、アマリリスがこちらを見ていた。

「コーヒーを淹れかえましょうか」

 以前なら、四十一度まで冷めていますから、とか付け足していただろう。口数が減ったようにみえて、そのじつ、不自然なことを言わないよう、心がけているのがわかる。

「それには及ばないよ。ぬるくなったコーヒーと煙草が、意外に合うんだ」

「登録しておきます。いえ……」

「ん?」

「あの、もしご遠慮なさっているのでしたら、わたしは構いませんので」

 成長している!

 感心すると同時に、不安も覚えた。成長と言えば奇麗に響くが、世慣れしてゆくのだと考えると、どこかもの悲しい。子供は社会という冷たいシステムに耐え抜くことを期待され、そのために躾けられる。この悪意に満ちた世界。決して正しいわけじゃないことは、万人がわかっているのに、どうすることもできない、人にとってひたすら過酷なシステムに。

「だいじょうぶだよ。欲しくなったら、遠慮なく呼ぶから」

 そもそも機械生命体である彼女に、人の世の習わしに従う必要があるのか。人の世のアンチテーゼとして生まれた、IBである彼女に。それとも少女は、

 ヒトになりたいのか?

「何を読んでいらっしゃるのですか」

 ピースを手にしたまま、彼女はたずねた。自分から無駄口をきいてくるなんて、じつに珍しい。少女にとって、それがけっこう思いきった行動であったことは、強ばった表情でわかる。

「古い飛行機の操縦方法に関する本だ」

「マスターはパイロットだったのですか」

「いやいや、知ってのとおり、ポンコツ車に振り回されているくらいだからね。こういった、自分にとって何の益もない本が、一番気楽に読めるのさ」

 人間の居住区がドームで囲われて以来、空を飛ぶ機械は、めっきり用いられなくなった。飛行技術も著しく退化した。

 都市地区と都市地区の間、すなわち、汚染地帯と呼ばれる広大な空間には、もちろん空が広がっているが、そこには浮遊型IBという、厄介な連中がいる。陸上型と比べて、決して戦闘能力は高くないが、人間の貧弱な飛行機械など、すぐに落とされてしまう。しかもこいつらは、成層圏にまで漂っていると聞く。

 つまり昔の技術書が、今ではファンタジーとして面白おかしく読めるわけだ。

 本当は、もっと調べなければいけないことが、山ほどあるのだろう。もっと現実的な情報を、積極的に得る必要があるのだろう。「幽霊船」で決着がついたわけではないと、カヲリは示唆したし、おれもそう考える。この平穏が、嵐の前の何とかに過ぎないことも、よくわかっている。

「何か面白い本があれば、わたしにも教えていただけますか」

 今夜はやけに絡んでくる。機械生命体にも、気分というものが存在するらしい。そういえば、以前、おれが勝手に出かけたとかいう理由で、機嫌がよくない時があった。

 しかしこれは、なかなかの難問だ。電子頭脳が面白がる書物とは、どんなものだろう。司書チャペックならいても、読書するチャペックなんて前代未聞。そもそも単なる情報源としては、書物は無駄が多い。むしろ読書とは、無駄を楽しむ行為かもしれない。

 前に少女は料理の本と、ファッション雑誌を買っている。が、これらは明らかに無駄ではなく、必要な情報源として選ばれたものだった。

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