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 まさか!

 そう叫びかけて、あやういところで自身を押し留めた。見れば、キャンディーが軽く腕を組み、観察するような視線を送っている。

 竜門寺真一郎は死んだ。屋上の情報屋、千里眼が、はっきりとそう言ったのだ。クーデター後、刷新会議によって極秘裏に拘置所に幽閉されていたらしく、そこをツァラトゥストラ教徒だか、旧政権の支持者だかの過激派に襲撃された。その事件に、エイジが巻き込まれたという噂も聞いた。

 かれが「幽霊船」に乗り込んだこととも、無関係ではないのだとか。

「何か、言いたいことある?」

「べつに。あんまり突飛な名前だったから、嘘にも程があると、呆れちゃっただけ」

「それで、そのお客さまとは、どうなったんですか?」

 興味津々、霞美が先を促した。この娘には、竜門寺にも刷新にも関心がないのだろうか。ツァラトゥストラ教の過激派とおぼしい、二葉を襲った一味は、明らかに彼女をマークしていたというのに。

 けれどそれならば、偶然とはいえ、二人でここに住み込んだのは得策だったかもしれない。治外法権と陰口される別館である。例の人食い私道同様、旧首長の資本がまだ生きていて、複雑な形でここを押さえているため、刷新会議さえ手が出せないとか。本館を接収するのが、やっとだったとか。

(でも……)

 ここで、二葉の思考はループして、元に戻ってしまうのだ。それゆえに、竜門寺真一郎が泊まっていても、不思議はない。むろん、かれが死んだという情報は、正しいのだろうけれど。

「残念ながら、あなたが期待しているようなことは、何もなかったわ。一、二回、暗がりで抱きすくめられた程度かしら。でももし、あなたたちがお客にハラスされたら、すぐにメイド長か亜門さんに訴えたほうがいいわ」

 亜門さん、という呼び方が、みょうに引っかかった。皮肉を込めて、二葉は尋ねた。

「何とかしてくれるの? メイド長はともかく、あの夜間支配人とかいう男、ガチガチの総支配人とは正反対で、軽薄そうじゃない。平気でお客の言いなりにされそうだけど」

「なるほど、真東亜ホテルの別館は都市の中の治外法権で、わたしたちメイドは、放蕩者たちの快楽の生け贄に供されるという、まさにエス侯爵のブンガク世界。そんなロマンチックな設定も悪くないわね。その放蕩者たちが、旧政権の首長たちだったら、なおさら面白い」

「否定は、しないんだ」

「願望どおりであれば、なるべく肯定しておきたいじゃない。まあ現実は、メイド長が即座に担当から外して、それで終わりでしょうね」

「あなたは、ハラスされても報告しなかったの?」

「したわよ。お客が竜門寺を名乗っていることまで、しっかりとね。でも担当は外してほしくないと希望しておいた。いざというときはうまく逃げるし、それに、そのお客が単なる助平なのか、本当に気が触れているのかわからないけど、面白いじゃない。歳はそれなりにとっていたけど、なかなかハンサムだったわよ」

 この女、間違いなく変態だ。二葉はそう確信しながら尋ねた。

「本当に、信じていたわけじゃないんでしょう」

「竜門寺だと? わたしにとって、それが現実かどうかなんて、どうでもいいの。だって、人間が現実だと思いこんでいるものなんて、すべて虚像じゃない。肩書きも、お金も、このIBやワームに食い荒らされた世界そのものも、人間が勝手に悪夢を見ているだけじゃない。だったらわたしは、なるべく楽しんで虚像と戯れたいの」

「そのお客さまは、どんなかたでしょう」

 霞美が声を弾ませた。呆れたことに、この娘も年上好みなのか。しかも竜門寺といえば六十年配なのだから、二葉に輪をかけて重症ではないか。

「痩せて、長身で、身のこなしが紳士的で。顔もまあ、竜門寺に似ていないことはなかったわね。本人は逃げるために整形していると言い訳してたけど。女には奇妙な性質があって、何か大きなものから逃れてきた男を、かくまいたがるのね。その男も、怖い、怖いと震えながら、わたしに縋りついてきたわ」

「まだ泊まっていらっしゃるのですか」

 キャンディーこと生田累は首を振った。どことなく悲しげな、芝居がかった表情で。

「とっくにチェックアウトしてる。もちろん刷新に連行されたのではなく、わたしを呼び出しもせずに、スーツケースを提げてひっそりと出て行ったらしいの。かれもまた法外な料金を払って、ちょっとしたゲームを楽しみたかっただけじゃないかしら。そんな気の触れた金持ちが多いのよ、別館の泊り客には」

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