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その部屋は半地階にあった。十五スペースはありそうな、だだっ広い部屋で、あくまで殺風景。上下二段の寝台が二セットあり、天井すれすれのところに、明りとりの窓が並ぶ。そこに金網が嵌まっているのを見て、二葉はつぶやいた。
「牢獄、ってとこ?」
腰に手をあてたまま、くすくすと、キャンディーは肩を揺らした。
「ワーム防止ネットでしょう。住めば都よ。空調はばっちりだし、バス、トイレ、キッチンに冷蔵庫つき。食事は基本的に社員食堂でとるけれど、当ホテルのシェフの料理が食べ放題」
「テレビジョンはないのね」
「あってもどうせ映らないから。ラジオを持ち込んでも、ここは極めて電波が届きにくいし」
そうだろう。客室のラジオも有線だったし、この建物自体、彼女が言ったとおりであることは、二葉は簡単な実験で確認していた。兄たちとの通信には、工夫が必要だろう。
ベッドの下段に腰かけて、キャンディーは言う。
「二人は、そっちのベッドを使ってね。まだあと二時間くらいはフリーだから、楽にしてていいわ」
「のんびりしたものね。シーツ係だった頃は、けっこう忙しかったけど」
「担当するお客によるけどね。引っきりなしにベルを鳴らされる場合もあるし」
「ベル?」
「そうそう。あなたたちには、これをつけてもらわなくちゃ」
キャンディーはベッドから腰を浮かせ、無造作にポケットを探ると、細い金属の輪を、二つ取り出した。サイズからして腕に嵌めるものだろう。一見、ちょっとしたブレスレットにみえる。
「これがベル。お客が呼び出せば、びりびり震動する仕掛けよ。もちろんコールはフロントにも届くし、オフィスのコンピューターにも記録されるけど、その頃すでにわたしたちは、おっとり刀で駆け出しているというわけ。古いコトワザで言うところの、レッツ・ザ・カマクラ、ね」
自身の左腕のカフスを捲ると、腕時計の下に同じものが嵌まっていた。
「ちょっとした拘束具ね」
「そういうの、嫌い?」
わざとハスキーな声を出して、片目を閉じるのだ。二葉は苦笑しつつ、眉をひそめた。この国籍不明の金髪メイドは、変態ではなかろうか。
「あの、キャンディーさん、お尋ねしてもいいですか」
相変わらず頬を赤くしたまま、鳥辺野霞美が言う。たしかに、自分たちみたいに皮肉の応酬をしていたのでは埒が明かない、と、二葉は我ながら思う。アルバイトの経験さえなさそうな彼女には、知りたいことが山ほどあるだろう。相変わらず芝居がかった調子で、キャンディーこと生田累は言う。
「年齢以外なら、何でも訊いてちょうだい」
「ありがとうございます。キャンディーさんは、お客さまに言い寄られたことがありますか」
「いきなりそれ?」
目を剥いている二葉を尻目に、累は静かな微笑をたたえて答えた。
「わたしもそれほど長いわけじゃないし、客室につくようになって、ほんの一月程度だから。あまり面白い話を期待されてもこまるけど、あるわね。とくにこの別館には、選りすぐりの変人が泊まるから。まるで魑魅魍魎の巣窟よ」
それは比喩ではあるまい、という言葉を、二葉は飲み込んだ。空いているはずの部屋から、シャワーの音が聞こえる。いるはずもない客と、ばったり廊下で出くわす。シーツを満載したカートを転がしながら、何度もそういう目にあっている。
期待に満ちた霞美の視線を浴びながら、彼女は続けた。
「これも言い寄られたことになるのか、疑問だけど。あるお客は、自分が旧政権の要人であることを、こっそり打ち明けたの。わたしにだけ、と念を押してね。このことがホテル側に知れたら、自分は刷新会議に売りわたされてしまう。きみはもちろん、密告したりしないだろうね。とまあ、こんなふうに迫ってくるわけ」
「新手の口説き文句と言えるかもね。でも、ひょっとすると本物かもしれないじゃない。ね、そのお客は、だれの名を挙げたのかしら」
キャンディーは演技的な間をたっぷりとって、朗誦するように言った。
「竜門寺真一郎」