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一朗はベッドの調整のため、アマリリスの寝室に向かい、少女がそれに立ち会った。リビングには、おれと二葉が残された。
彼女はソファに浅くかけ、二杯めの紅茶を手にしたまま、意味ありげな視線を送ってきた。もともと睫毛が長い上に、視線の出力が高いため、意味ありげに見えるだけかもしれないが。何か話したいネタがあるのではないかと、おれはピンときた。
二葉はおれを見据えたまま、
「とりあえず、座ったら?」
と、自分の家みたく言う。
「新東亜ホテルの別館に移された話は、このまえしたわね」
「ああ」
二葉にとっては「このまえ」でも、おれにはずいぶん昔のことのように感じられる。「幽霊船」への潜入。その前と後では、別人のように変わってしまった自分を意識する。
おれは彼女の前に腰かけ、組んだ足の上に、軽く上体でもたれた。話があるのなら聞きましょう、というポーズだが、少し驚いたように、二葉は目をしばたたいた。意外に少女らしい仕草に感心していると、なぜか顔を赤らめて、そっぽを向いた。
「なによ、その目は」
「言いがかりはよせ。目つきのことまで、責任は持てない」
「べつにいいけど。また悲しいことがあったのね」
なぜわかった? という問いを、疑問符ごと呑みこんだ。アリーシャとのいきさつは、麗子や一朗にも、まだ話していなかった。
ほっ、と彼女は、溜め息をもらした。
「ちょっと前より皺が増えてさ。また一段と老けこんじゃったけど。でも、目だけは違うのよね。どんどん澄んでゆく……というより、研ぎ澄まされてゆく感じかしら。それできっとまた、悲しいことがあったんだな、って」
彼女の個性的な理論に従えば、悲しみが瞳の色を変えることになる。涙が瞳の色素を、洗い流すのだろうか。ほとんど銀色に近かった、アリーシャの瞳が思い合わされた。そうしてマキの瞳の色が変わった謎を、二葉の理論が見事に説明していることも。おれはといえば、一生泣きとおしたところで、彼女たちの悲しみに追いつかけそうにない。
煙草をくわえて火をつけた。こんなありふれた動作まで、なぜかじっと見られていた。おれは軽く両手を広げた。
「誉め言葉ととっておくよ。それで、例のホテルだが、けっこうやばそうな話をしていたじゃないか。やっぱり辞めるのか?」
「その反対。冬休みの間だけだけど、住み込みで働くことになったの」
「だいじょうぶなのか。従業員が謎の失踪を遂げるような場所だろう?」
「問題ありません、マスター。とは、アマリリスちゃんみたいに言えないわね。まあ、わたしは配置換えになって間もないから、失踪に関しては二、三の噂を耳にする程度で、まったく実態がつかめていないんだけど。前にも話したとおり、あそこに何かがあるのは、確か」
「いてはいけない人物が、泊まっているとか」
「そう。どれもこれも、噂や憶測の範囲を出なのが、もどかしいんだけどね。でも、あの中の空気は、尋常じゃない」
彼女はカップを口へ運び、味わうように目を閉じた。最近いろいろあった様子なので、彼女なりに疲れているのかもしれない。おれは背もたれに身をあずけ、腕を組んだ。
「しかし、住み込みとはまた、仰々しいな。小遣いが足りなくなったのか」
いつぞやの人食い私道事件の礼金として、けっこうな金額が、二葉にはワットから支払われているはずだ。彼女はカップを置きながら、小さな溜め息をもらした。
「こう見えても倹約家なんだから、わたしじゃないわ。お金にこまっているのは、わたしの友達。鳥辺野霞美という子なんだけど……」
「トリベノだって!?」
あまりの剣幕に、二葉はぎょっとした様子。思わず身を乗り出したおれの鼻先に、見開かれた彼女の目があった。
「な、なんなの。いきなり」
「すまない。だが、トリベノなんて苗字は、そうどこにでもあるもんじゃない。そしておれは『幽霊船』の地下で、トリベノと名のる男と出くわした」
「なんですって!?」
次は二葉の剣幕に、おれがのけ反る番だった。