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紅茶はすぐに運ばれてきた。例の娘をじっと観察していたが、没個性的という以外、あらためて何の感想も浮かばない。ただ、動作は勤務十年のメイドに匹敵する。
「訊かれる前に申しておきますが、あやしげなクスリは入っておりませんよ」
ここへ連れて来られた経緯を考えれば、何が混ざっていてもおかしくない。けれど、ゲームの賞金をくれるのくれないのと、ゴネる小娘を黙らせるためだけに、そこまでするだろうか。わざわざメイドに運ばせてまで、毒や催眠導入剤を飲ませるのもナンセンスだ。
ひと口飲んでみて、二葉は驚嘆の表情を隠せなかった。あやしげなクスリどころか、混じりけなしの茶葉百パーセント。新東亜ホテルで注文すれば、雀の涙ほどの一杯が何千サークルもするシロモノだ。しかし、感動していては交渉が進まない。
「貼り紙を確かめたけど、スコア百万で、三十万サークルだったわ。母艦のコアが確実に破壊されたこと。および、母艦が爆発する直前のわたしたちのスコアは、見物人たちが証言してくれると思う。そしてあなたは、みずからのミスでゲームの電源を落としたことを認めている」
「はい」
「これ以上、交渉の余地があるかしら」
亜門真と名のった男は、腰を下ろさぬまま、カップソーサーを指で支えて紅茶を飲んでいた。決して行儀がいいとは言えないが、なぜか下品に見えない。服装にせよ、物腰にせよ、喋り方にせよ、一歩間違えればただの悪趣味に陥るところ、みょうな品のよさに救われていた。
それに、最初見たときから感じていたのだが、どこかで会った気がする。それもゲーム屋以外のどこかで。新東亜ホテルの総支配人、桑原光三郎に似ているのはわかっていたが、ずっと若いし、たしかに別人だ。もらった名刺の名前にも、何となく見覚えがあった。
「宜しいでしょう」
「は?」
「三十万サークル、お出ししますよ」
わざとらしく片目を閉じている。拍子抜けしたこともあり、二葉はきつく問いただそうとした勢いを削がれた。心臓がみょうな具合に脈打っている。
自覚症状はあるのだ。十いくつも歳の離れた、三十路男に惹かれやすいという。それはまだ幼い頃に父親を亡くした、彼女の心に由来するのかもしれない。思い出のジグソーパズルに、ぽっかりと欠けたピースを、父親の面影を、無意識に探し求めているのかもしれない。
しかもその面影はなぜかいつも、どうしようもなくダメな男の上に投影されてしまう。明らかにダメな某害虫屋はともかくとして、この亜門という男も、どうしようもない人間のオーラを強く発していた。ダメな男のにおいが、ぷんぷん香った。
「ばかじゃないの。払うつもりがあるのなら、どうしてわざとコードを足で引っこ抜いたのよ」
亜門は飲み干した紅茶を机の上に置き、「失礼」と断って煙草に火をつけた。口の端にくわえる癖。煙を吐くときに、ちょっと眉間に皺を寄せるところも、だれかと同じだった。
「じつはわたしも、あの『国際宇宙ステーション』には、少々思い入れがありましてね。すっかり流行遅れになりましたし、バグも出る。そもそも最初から欠陥ゲームとの悪評つきでしたが、なかなか手放せずにおります」
「あなたもプレイするの?」
「ハハハ、わたしはとても。座席に座っかと思えば、撃ち落とされておりますよ。ただこのゲーム、いまだに更新プログラムが送られてきまして、それもゲームの欠陥を修正する方向へはまったく向かわず、バグも直らないどころか、ひどくなる一方。ただどうも、敵が限りなく成長しているようなのです」
「敵が……?」
画面にあらわれた得体の知れない「人物」を、二葉は思い起こさずにはいられなかった。低い、おぞましい合成音がつぶやいた言葉を。
「はい。ご存知のとおり、すさまじく難しいゲームですから、敵の背景を濃くしたところで、だれもたどり着けませんし、気づきません。むしろそれをよいことに、ゲーム会社のほうでは、好き放題やっているようなのです。その会社がまた正体不明で、ほかに何もゲームを出しておらず、どうも金儲けにはまったく興味がない印象なのです」
それはそうだろう。あんなゲームが流行るとは、とても思えない。吐き出した煙の行方を見つめながら、亜門は語を継いだ。
「じつはわたし、少々怖くなりましてね。最初はお客さまに混じって、面白く観戦しておったのですが、あの母艦が爆発したら、何かとんでもないことが起きるんじゃないか、と」
二葉はまた、霞美と目を合わさずにはいられなかった。いったいこの男は、パラノイアなのだろうか。たかだかゲームの中で、敵の母艦が撃破されたからといって、現実に何が起こるというのか。