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自身の声が、ガレージの中でうつろに反響するのを意識した。
一朗と一彦が、この頃密かに二葉の行動を監視しているのは、たしかだ。放任主義の兄たちにしては、異例なできごとといえた。自身の周辺で、いったい何が起こりつつあるのか。何が変わったのか。繰り返される平凡なサイクルの中で、最近変わったことといえば、新東亜ホテルの別館に移されたくらいか。
いつかエイジに洩らしたように、あそこの異様な雰囲気は、彼女もひしひしと感じていた。ただその原因は、まださっぱりわからないが。一朗が、ようやく口を開いた。
「たぶん、二葉が考えているとおりだよ」
「ツァラトゥストラ教徒?」
「たぶんね」
「わたしなんか勧誘したって、何のトクにもならないと思うけど」
一朗は肩をすくめた。あくまで口が重いのは、二葉の好奇心を刺激したくないからだろう。好奇心に駆られれば、どこまでも突っ走る。そんな妹の性格を知悉していればこそ。おそらく一彦あたりの提案で、情報操作を行っているに違いない。
こんなときは、粘っても始まらない。一朗は口がかたいし、一彦に当たってみたところで、こちらは達者な口ではぐらかされるだろう。一旦身を引くのが得策とみた。
「じゃあ、それお願いね。あとでコーヒーを持ってくるから」
目をしばたたかせている一朗に軽く手をあげて、二葉はくるりと背を向けた。
貸衣装屋は九つの指輪を嵌めていた。右手の薬指だけがフリーなのである。
「あらあら八幡ちゃん、お久しぶりじゃなあい。ちょっと見ない間に、E女になっちゃってもう」
ぽんと尻を叩かれた。シナを作るたびに、金色の服に散りばめた銀色のラメが、きらきら揺れる。鳥の巣をおもわせる頭髪は真紅で、口紅は上が黄色で下が紫。むろん、正真正銘のゲイである。
「惜しいわあ。あたしがオトコだったら、いっぱいEコト教えてあげられるんだけどなあ。こちらのお友達は、お初よね」
「山の手のお嬢さまよ、MB」
無数の衣装が吊るされた狭い店内。ほかに客はなく、香水のにおいがたちこめ、プッチーニのオペラが低く流れている。
MBが何の略なのか、二葉もよく知らない。看板にはただ「MBの店」とあり、趣味のよくない蝶の絵が添えてあるので、マダム・バタフライの略ではないかと勝手に考えている。MBは、怯えきった鳥辺野霞美を舐めるように眺めながら、指をわななかせて舌なめずりした。
「いじめたくなるタイプよねえ」
「だめよ、わたしのキティちゃんに手をだしちゃ」
そう言い捨てて、二葉はさっさと制服を脱ぎはじめた。表の戸は閉ざしてあるし、MBは「男」ではないから、何も気にする必要はない。
さすがに学校に近い繁華街を、制服でうろつくわけにはいかない。そんな悩める女学生から、お城へ急ぐシンデレラまで、MBの店はこれでなかなか重宝されていた。もっとも、旧政権とともにサロンが消滅したせいで、実入りは半減したようだが。
(刷新なんてさ、世のため人のためと宣伝しながら、せっせと仕事を奪っているだけじゃないの。しかも弱い者からよ)
そういえば、似たようなことをどこかの何でも屋がぼやいていたっけ……衣装の森からいくつか選り分けてきて、MBは言う。
「最近のお勧めはラバーかしら」
「レザーじゃなくて?」
「あえてラバーを選ぶのがお洒落というものでしょう。ちょっとにおいがアレだけど、香水で消しちゃえば問題ないし。けっこうマニアが多くてね、八幡ちゃんも癖になるかもよ」
MB自身を眺めれば、お世辞にも趣味がいいとは言えないが、他人を見る目は確かで、流行の一歩半くらい前を行くセンスも信頼に値した。ラバーのブーツとショートパンツ。ゆるめの丸首シャツを重ね着した上から、こちらはレザーのジャケットをざくりと羽織り、木製のネックレスをあつらえた。
「羨ましいわねえ、八幡ちゃんは何を着ても似合うから。髪はもうちょっとアグレッシブに立てたほうがいいわね。あと胸元に引っかけておくサングラスを忘れずに。さてと、次はこの子ね」
MBと二葉が同時に向き直ると、霞美はびくりと震えた。両手で胸を覆ったまま後退りする彼女に、指を蠢かせながら二人はせまった。
「さあて、どう料理してあげようかしら、仔猫ちゃあん」