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8(2)

「残念ながら、IDの提示は義務付けられていない。コードネーム『カヲリ』、とでも名のっておこうか」

 黒服はそう言って、バイザーを少しだけ持ち上げた。真紅に塗られた唇が、薄く微笑んでいた。きっといい女に違いない。おれはそう直感した。

「おれのIDは見なくていいんですか?」

「ふん。モグリのなんでも屋なら、偽造はお手のものだろう。エイジさんとやら。以前は連合の処理班にいたそうじゃないか」

「よくご存知で」

 胸ポケットを探ると、ガスマスクの一人が素早く銃口を向けた。薄っぺらな煙草の箱を、ひらひらと振ってみせたが、実際に一本取り出すまで、狙いを定められたまま。たしかに小型爆弾である可能性はゼロではないが、ご苦労な話である。その間も、核弾頭より恐ろしい超兵器が、台所でお茶を淹れているとは、夢にも知らずに。

 おれは苦笑しつつ、煙を吐いた。コードネーム「カヲリ」が尋ねた。

「今でも連合と繋がりはあるのか」

「まったく」

「正直に答えたほうが身のためだぞ」

「疑うんなら、家宅捜査でも何でもすればいい。三年前に辞職して、それっきりだよ。だいいちおれは、首長の血族じゃない。ちょっとばかし給料はよかったが、連合政権時代の処理班といえば、今のあんたたちよりも、ずっと位は下なんだぜ。今さらやつらに義理立てする理由は何もないよ」

 信じたのかどうなのか、カヲリは何も答えない。黒いバイザーの向こうで、どんな顔をしているのか、まったく読めない。ただ、やつらの目的が、首長連合の残党狩りらしいことは、だいたい察しがついた。

 ふと、レイチェルの顔が浮かんだ。次の瞬間、いやな予感は見事に的中した。

「隣は一一〇七号室だったな。住人と交流はあるのか」

「顔を合わせれば、挨拶くらいはしますがね。それだけです」

 アマリリスはキッチンに入ったきり、なかなか戻らなかった。食器の音も全く聞こえず、静まり返っている。電池切れ、という考えを、煙草とともに揉み消した。たった数時間で止まったのでは、七式にも劣る。永久機関の名がすたる。

 それにしても、レイチェルが首長の血族ではないかという疑惑は、図星だったのだろうか。相変わらず相手の表情の読めないことが、おれを苛立たせた。残り二本になった、貴重な煙草にまた火をつけた。

「隣人の名を聞いているか」

「レイチェルとか言ってましたね。学校で芝居でもやってるんですかね」

「学生だと思うのか」

「さあ。若い娘のことを根掘り葉掘り訊くのは、マナー違反でしょう。おれなんか相手にするより、隣に行って直接尋ねたらどうですか」

「調べたさ。とっくにドロンされた後だったがね」

「えっ……」

 目を見張っている間に、彼女は立ち上がった。薔薇に似た、香水のにおいが漂った。

「邪魔したな。見送りは結構。機転の利く妹さんにも、よろしく言っておいてくれ」

 カヲリが先に立ち、ガスマスク二名が後に続いた。部屋を出て行くまで、三人とも一度も振り向かなかった。ドアの閉まる音が聞こえたところで、振り返ると、盆を手にアマリリスが立っていた。紅茶ではなく、冷たい水を満たしたコップが一つだけ載っていた。

 なるほど、さっき飛びかかりかけたことといい、命令に忠実なばかりでなく、おそろしく機転が利く。おれは水をひと息に飲み干すと、盆に戻すついでに、少女の耳もとに顔を寄せた。

「おそらく盗聴器が仕掛けられたと思うが、探知できるか?」

 少女は無言でうなずき、盆を小テーブルに載せて、ソファの足もとにうずくまった。間もなく、色も形もコガネムシに似た装置が差し出された。自力で潜り込めるタイプらしく、これならカヲリが一度も身を屈めずに仕掛けられたのも道理だ。おれは棒読みで言ってやった。

「おや、煙草を落としたと思ったら、こんなところに変な虫がいやがった。えい、虫め。害虫退治の専門家を舐めるなよ。こうしてくれる」

 床に叩きつけ、ついでに鉄板つきのスリッパで踏みつけた。ぐしゃりと潰れる感触は、決して気持ちのいいものではなかった。

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