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 ときどき二葉は思うのだ。

 ゴーグルとヘッドフォンをつけた、のっぺりした顎の男……あれは必ずしも、情報屋「千里眼」の実体ではないのではないか、と。

 廃された天体望遠鏡のドーム。中にうずたかく積み上げられたガラクタも含めて、あの場所全体が「千里眼」なのではあるまいか。だから、ガラクタ山の頂上に陣どり、マリオネットめいた身振りで話す男が、あるいは本当に操り人形……チャペックであったとしても、二葉はさほど驚かないだろう。

 となると、権力者から逃れるために、たびたび場所を変えているという、かれの移動を助けているのは何者だろう。あれだけの「装置」を人知れず運び込むのは、容易ではあるまい。やはり何らかの組織が絡んでいるのか。

 出入りの業者を装って、黙々とボール箱を運びこむ男たち……が、しかし、一度もそれらしき人物と、ドーム内で出くわさないのは、どういうわけか。

 ドームを出たあと、彼女はいつも軽い疲労を覚えた。どちらかというと、心地よい疲労に属する。全身の気怠さの中心に、懐かしいような快感の芯がある。それもちょっと人に話すことが憚られるような、うしろめたさを含んだ快感が。

 二葉の指定席。あのわずかに帯電している箱のせいだろうか。千里眼の語るリズムにあわせて強弱をつけながら、箱はぴりぴりと刺激を送る。けれど、そういった直接的で局部的な刺激が原因ではなく、ドーム全体が超高周波の電気を帯びており、内部にいる彼女の身体に作用するのではあるまいか。

 ちなみに千里眼を訪ねたあとは、いつも肩こりや便秘の症状が、驚くほど改善されていた。

 鳥辺野霞美の話題を振ってしまったため、尋ねるつもりだったことを訊きそびれてしまった。アルバイトがあるので、長居もできないし、また千里眼自身、長時間人と話すことは不得手のようだ。限界が近づくと、話しながらうたた寝をはじめ、眠りネズミのように、わけのわからないことを口走り始める。

 校門を出ると、外はすっかり暗くなっていた。珍しく大気が澄んでいるのか、少しばかり「本物の」星が見えた。残留人工衛星が、その間を迷い魚のように、ふらふらと泳いでわたった。

「いけない、遅刻遅刻」

 童話の白兎のようなセリフを口にしながら、カカトをとん、と、路面に打ちつけ、靴底に仕込まれた車輪を出した。鞄を小脇にかかえ、そのまま路上を滑走してゆく。冷たい夜気が頬にぶつかり、髪をなぶる。二葉はこの短い冬が嫌いではない。むしろ一年のうちで一番好きな季節かもしれない。

 気温が下がるおかげで、どの都市地区にも宿命的につきまというオイル臭が、いくらか緩和される。ワームの活動が鈍り、長い夏に比べれば、テロリストや犯罪者たちもおとなしく、街は静かである。死の季節の中で、ひっそりと身を潜めて暮らす人々の息づかいが、温かく感じられる。

(なんてセンチメンタルな……)

 自嘲しながら、まんざらでもない笑みを浮べた。風の心地よさにこれほど強い幸福感が得られるのも、若さゆえの特権、なのかもしれない。

 いくつか知っている近道の一つをたどる。塀の隙間から入って、封鎖されたマンションの敷地を横ぎり、植え込みを抜けて遊歩道をわたる。立ち入り禁止のロープを飛び越え、ひと気のない公園の石畳を蹴った。整理区画に指定されたまま、ここも長いこと手がつけられていない。

 花壇の残骸を尻目に、淀んだ水をたたえた噴水の脇を通り抜けようとしたところで、人影に囲まれた。

(もう……ついてないなあ)

 何かと今日は、じゃまが入る。ざっと見わたしたところ、相手は五名。ゴムのような光沢のある黒ずくめで、顔はガスマスクですっぽりと覆われている。瞬時に包囲する手際のよさといい、武装警官かと考えたが、コスチュームが異なるし、そもそも雰囲気が違う。明らかに反体制側。アウトサイダーのにおいを、ぷんぷんさせていた。

 単なる無法者か。バイクが見当たらないので、ボーン・トゥ・ランの一味ではなさそうだ。最もあしらいやすいのが性的な欲望を抱いた変質者であり、一番厄介なのは、何らかの思想を共有するテロリストたちだ。しかしこの季節、こんな場所で、どんなテロリストたちが好んで集会を開くというのか。二葉は軽く鞄を叩いた。

「よろしければ、道を開けてくださらない? 先を急いでいますの」

 ガスマスクたちは微動だにしない。

 ユーモアを解せない野暮天どもめ、と、二葉は心の中で悪態をついた。五人とも何も得物を手にしていないが、どこからナイフや拳銃が飛び出すか、わかったものではない。こちらから仕掛けるのは、明らかに不利だ。せめて相手の魂胆と、戦闘能力を探らなければ。

「それとも、率直に、わたしをどうかなさりたいの?」

 彼女の正面にいたガスマスクが、肩をすくめるのがわかった。しゅうしゅうという音に混じって、くぐもった声が聞こえてきた。

「八幡二葉だな」

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