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 目が覚めたあとも、しばらくは、ここがどこだかわからなくなる。

 まだ「幽霊船」の底にいるような気がする。

 暴走した非常用電源が、火星の夕焼けをおもわせる赤光で辺りを覆う。コンクリートも汗ばむほどの不穏な熱。一帯を巣窟としているワームどもが、餌を求めて蠢く気配。

 退化猿人どもが、ほくそ笑む声。

 かたくなに目を閉じたまま、寝返りをうつ。錆びだらけのベッドがきしむ、耳慣れた音が、おれを「幽霊船」の底から連れ戻す。老朽化した雇用促進住宅の十一階がおれの安住の地だとは思いたくないが、少なくともあそこと比べれば、いきなり一つ目の掃討車に踏み込まれる可能性は低い。

 ぱらぱらと、水の音が聞こえる。人工降雨の音ではない。浴室のシャワーが出しっ放しになっているのだろうか。

 みすぼらしい獣のように、くるまっていた毛布から顔を出すと、蒼い灯りが、ぼんやりと視界を照らす。都市地区の地上にいる限り、真の闇は訪れない。殺風景な部屋。まだろくに散らかっていないところが、余計に寒々しい印象を強める。

 あれから何日経ったのだろう。

 ずいぶん迷ったのだが、部屋に戻る前に、生きて帰ってきたことだけ、電話で茨城麗子に告げた。会社にかければ、抜け目のないワットに感づかれるので、彼女の自宅に。

(ご無事で何よりです)

 深夜にもかかわらず、ワンコールで出ると、相変わらず抑揚のない声で、彼女は言ったものだ。

(報告は、後ほどあらためてさせてもらう。今はだれにも逢いたくない。どうせ依頼主も生きて帰るとは思っていないだろうから、二、三日遅れたって構わないだろう)

(了解しました。ゆっくり休まれてください。それと……)

(どうした)

 声が上ずるなんて、麗子らしくもない。やはり彼女らしからぬ沈黙のあと、ひどい混線をぬって、緊迫した声が響いた。

(エイジさんの留守中、ご自宅の近くで不審な人物を目撃しました)

(ジークムント旅団か)

(わかりかねます)

(ありがとう。せいぜい気をつけるよ)

 骨董電話の受話器が、ちん、と間抜けな音をたてた。

 ワットのさしがねか、彼女個人の意志によるのかわからないが、麗子は日に数回、ここまで車を回していたのだろう。美しい足で、運転席からすらりと降りて、雇用促進住宅を見上げる彼女の姿が、目に浮かぶようだ。けれどいつ来ても、十一階の片隅の窓に変化はない。立ち去る前に、彼女は少し眉根を寄せたかもしれない。

 アマリリスが宅配業者を偽装したツァラトゥストラ教徒の過激派と、派手な立ち回りを演じたのは、いつのことだろう。「幽霊船」に潜入する前のできごとが、ずいぶん遠く感じられる。当初、やつらは隣に住む謎の女子大生、レイチェルを消しに来たとおぼしいが、あの一件で、おれたちに目をつけなかったわけがない。

 そして「幽霊船」から帰還した今では、やつらがジークムント旅団に違いないと確信している。

 逆さAの紋章と、翼と脚を広げた猛禽類。この二つが組み合わされたとき、魔術的な星の形が浮かび上がる。およそ六百年前に世界戦争を引き起こした男も、あの星から逃れられずに自滅したのではなかったか。第二次百年戦争の火種となった武装国家、イズラウンもまた、あの星との深い因縁に繋がれていた……

 水の音は、もう聞こえなかった。一種の耳鳴りだったのだろうか。

 おれはベッドから這い出し、灯りもともさずに台所に向かった。冷蔵庫を開け、合成ビールを取り出した。プルタブをひねると、泡が指まであふれたが、構わずに半分ほど飲み干した。一日半、これしか口に入れていないので、さすがに舌が拒否反応を示し、錆の浮いた汚水の味がした。

(こんなとき、気の効いたドラッグでもあればな……)

 缶を放り投げて寝室に戻ると、机の上で、ノート型コンピューターのモニターが、蒼くともっているのが目に入った。出かける前から、つけっ放しだったのかもしれない。近寄るとセンサーがおれを感知して、待機画面からプログラムの画面へと切り替わる。こことそっくりな、殺風景な部屋の一角が、天井から見下ろす角度で映し出される。

 おれはハッと胸を突かれた気がした。

 水の音!

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