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「それって、当局に目をつけられているというのと同じじゃない」
「反体制派に利用されてはコトだからね。四六時中見張られていると考えていいだろう。教授は穏やかな性格で、荒事を好まない紳士だから、頼みもしない護衛とはいえ、むしろかれにとって有益なのだろう。静かに研究に打ち込めるというものさ」
「紳士なら、言語道断な研究なんかやらず、哲学者にでもなればよかったのに」
「ひとつは、かれの一族が理系の学者を多く輩出しているという環境にもよるだろうね。でもきみの言うとおり、教授の学説は哲学的と称されているよ。ボクに言わせれば、常人なら研究室を飛び出して汚染地帯の世捨て人になりそうな分野を、よくまあ科学の領域に踏み留まってコツコツやっていけるものだと、逆に感心させられるけどね」
その点は、相崎博士と同類といえる。性格が地味か、派手かの違いで。
「ちなみに、その鳥辺野教授って、お年寄り?」
「主観にもよるが、四十七歳を年寄りと呼ぶかどうか。どうしてそんなことを聞くんだい?」
「なんとなく……学者一家なんですって?」
よく耳にする何々一家は、たいてい芸術家か学者である。ジャンク屋一家なんて聞いたことがないし、泥棒一家といえばニュアンスが異なる。けれど兄たちを見ていると、ジャンク屋も一種の学者であり、きわどいところで芸術家と呼べなくはない気がする。
「博嗣氏の父親は古風な物理学者だった。そのまた親父は、世が騒がしかった当時、学位こそ持たなかったものの、ロストテクノロジーのひとつ、量子コンピューターの伝承者だよ」
「キナ臭いわね。つまり、祖父がアブナイ研究をしていた反動で、父親は古典の世界に閉じ籠もった。その息子である教授に至って、父親の堅実さと、祖父のキナ臭さを継承した」
「ユニークな考察だ。ちなみに博嗣氏には十一歳年長の兄がいて、ひところは、こちらのほうが機械遺伝学者として名高かった。名を鳥辺野秋嗣という」
「ちょうど旧政権時代に活躍した恰好かしら。現在はどこにいるの?」
「行方不明」
「ふぅん」
レモンティーはだいぶぬるくなっていた。飲みくだす音が、みょうに大きく響く気がした。白い手袋をはめた手で、千里眼は自身の顎をつるりと撫でた。
「タキシードを着て竜門寺家のサロンに出入りするほど、一時は幅を利かせていた。掃討車やソフトボールの基礎的な理論も、かれがうちたてた。きみの所の相崎博士とは、ある意味ライバルどうしだったといえる」
「ある意味、ねえ。いずれにせよ、刷新会議にとっては、A級戦犯なみよね。当局に消されたの?」
「いいや。鳥辺野秋嗣が姿を消したのは、クーデターが起こる二年以上前だよ。竜門寺家に拘束されているのだと、巷でもっぱらの噂だったし、それが事実だろうねえ」
「まさか社交ダンスの途中で令嬢の足を踏んずけたのが原因じゃないでしょう」
「残念ながら、ずっと野暮な理由で捕まっちまった。父親から禁断の技術を伝授されていることが、バレてしまったんだね」
「量子コンピューター?」
「それもあるし、もっと凄惨な技術の数々も含まれていただろう」
一缶飲みほしたばかりだというのに、すでに咽が渇いていた。童話じみたイメージだとは思いながら、虫食いだらけの魔法書を、脳裏に描かずにはいられなかった。痩せさらばえ、実年齢より十歳も老けこんだ男が、泥炭ランプをひとつともして、ぶ厚い本のページをめくっている。岩窟の壁に映る男の影には、巨大なコウモリの羽が生えている……
我知らず、二葉は身震いした。
「けっきょく見つからずじまいなのね。でも、竜門寺が、秋嗣博士を殺している可能性は薄いのでしょう。情報を引き出したいわけだし。クーデターで竜門寺真一郎が拘束されたことを考えれば、どさくさに消す余裕もなかったんじゃないかしら」
「鳥辺野秋嗣は生きている。と、きみは考えるわけだ」
「なんだか含みのある言いかたね……あれ? もしかして……」
顎に指をあてた。尻に敷いている金属の箱がぴりぴりするのも気にせず、考えこんだ。予定調和ではないけれど、千里眼と交わしたとりとめもない会話が、ここで輪を閉じるのではないか。
「もしかして鳥辺野霞美は、秋嗣博士に関する情報を買うつもりじゃないかしら」
百五十万サークル。多少法外だが、情報料としてなら、あり得る数字だ。