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「本当にこまっているのなら、学校に書類を出せば? わたしがとやかく言える問題じゃないでしょう」
警戒心が芽生えるのを感じた。
なぜ、よりによって自分に、しかも人目を忍ぶような恰好で相談に来たのか。学校にさえバレていないアルバイトを、この内気そうな娘が嗅ぎつけたのか。さらに勘繰れば、これをネタに、交換条件を突きつけてくるのではあるまいか。金にこまっている、というのは揺すりたかりの常套的な切り口上である。
が、あらためて目の前の少女を眺めると、そんな疑惑を覚えたことさえ、ばかばかしくなってくる。今にも泣きそうな顔。消えてしまいたいのに消えてしまえないことを嘆くように、真っ赤になって身悶えている。さすがに二葉は気の毒になった。
「ま、たしかに学校が許可しているバイトじゃ、ろくに稼げないけどね」
学費自体が高額なのだし、この学校に通う以上は、ある程度裕福なことが前提になっている。
「でもどうしてわたしに? 無欠の常習犯は、バイトに明け暮れていると考えたの?」
ありそうな話だ。名簿を見れば、二葉がいわゆるスラム街に住んでいることは一目瞭然である。クラスはおろか学校全体を見わたしても、裏町から通ってくる生徒は、彼女くらいしかいない。
相変わらず煩悶しながら、ミリサイズの鞘翅類がささやくような声で、霞美は言う。
「こんなこと、八幡さ……いえ、二葉さんのほかに、相談できそうな人がいなくて」
「すごく、説得力があるわね」
いずれにせよ、新東亜ホテルで働いているところを、見られたわけではないらしい。裏口から出入りしていたし、よほどのことがない限り、ロビーにメイドは顔を出さない。とくにアルバイトの彼女は、シーツの交換ばかりやっていたから、泊り客ともめったに顔を合わせなかった。それがいきなり、別館への「大抜擢」となるのだが……
「もしかして、疑ってる?」
「はい?」
「わたし、三角街や親孝行横丁では稼がない主義だよ」
霞美は目をしばたたかせた。理解が追いつかなかったらしい。二葉は皮肉らしく肩をすくめ、歌うようにまくしたてた。
「でも、あなたが本当にお金にこまっているのなら、手っ取り早く、しかも確実に稼げる方法はそれだよね。学生は高く売れるし、名門校生となると、なおさら付加価値がつく。問題は、しかるべきモトジメを見つけられるかどうか。いきなり街娼に立つなんて論外よ。彼女たちには縄張りがあるし、もちろん目ぼしい所はすべて、不法ギルドが取り仕切っている」
「ガイショウ……?」
「へたなモトジメに捕まると、ぼろぼろにされちゃうけど、中にはほどよく稼がせてくれる連中もいるわ。名門校生をウリにするからには、相応しいお客を選んでくれるし。刷新会議の監視下で危ない橋をわたる以上、頭のいい連中に限って無茶はやらないのね。でも、今一番お勧めなのは、変態を専門にしているモトジメの店かしら」
「ヘンタ……? あの、何の話をなさっているんですか?」
「変態というと恐ろしげなイメージだけど、血を好むようなサディストって案外少ないの。中には添い寝するだけの店もあって、お客は老人ばかりなんだけど、布団の中で一晩、じっと眠ったふりをしているだけでいいの。審査の厳しい会員制でね。入会できる老人は、すでに性交が不能になっていることが条件なのよ」
ようやく小さな悲鳴を上げて、霞美は顔を覆った。ずいぶん手加減して話してもこれなのだから、やはりどこかのお嬢さまなのだろうと思う。こんな初心なお嬢さまが、どこをどう間違って、校則違反を冒してまでアルバイトを探すほど、困窮してしまったのか。
「で、どれくらいお金が必要なの?」
ハッとしたように、霞美は掌の仮面を外した。草食動物の目をしている、と二葉は考えた。小さいけれどつぶらな目を、一生懸命見開いたさまは、可憐であり、ちょっと苛めてやりたい気分にもさせられる。
「冬休みじゅうに、百五十万サークルほど」
「本気で言ってるの? 冬休みの間、一睡もせずに働いたって不可能でしょう」
「百万でも、せめて五十万でも構いませんから。なんとかなりませんか」
唸りつつ腕を組んだ。なんとかならないか、と言われてもこまる。アルバイトごときでは、とても稼げない金額だ。しかも政権交代直後の混乱で、世の中は不景気の真っ只中。身を売ったところで、ぽんと百五十も手に入れるのは難しい。あとは借りるか、盗むかだ。