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59(4)

 爆風をまともに浴びながら、それでもじっと立っていたらしい。タウロス一号は文字どおり満身創痍で、あらゆる関節から煙を吐き、蛇の舌のような放電に全身を舐められていた。ぎちぎちと体の向きを変えて、残った片腕で一点を指さした。壁の中に、たしかにこれまでなかったドアが出現していた。

「恩に着る。おい、爺さん。急がないか!」

 降りしきる資材の中にたたずんで、トリベノは「ジュリエット」を抱いたまま、ぼんやりとこちらを見ていた。

「何をやってる? 死にたいのか!」

 思わずそう叫んで、胸を突かれた気がした。原因はわからないが、それでもトリベノの気持ちが、痛いほど伝わってきた。爺さんはあの時のおれであり、今のおれでもあった。もしもマキを抱いていなかったら、おれは同じ態度をとっていたかもしれない。あの時が、そうだったように……

 トリベノは敬礼していた。

 おれは眉根を寄せ、うなずくことしかできなかった。チャペックはドアを指さした姿勢のまま、機能が停止したのか、すでに「眼」の光が消えていた。ドアに向かって駆け出すと、それはひとりでに開いた。向こう側は廊下らしく、広間より目の細かい市松模様が、ぼんやりと浮かんで見えた。ドアを抜けると同時に、背後ですさまじい音が響いた。

 巨大な瓦礫の塊に広間が埋め尽くされたのはわかりきっていたが、おれは振り向かなかった。やけに細長い廊下をひたすら駆けた。両側に油絵がかかっているようだが、何を描いたものかわからない。確かめる余裕もなければ、それほど明るくもないのだった。ただ床にうっすらと貼りついている光沢だけを頼りに先を急いだ。

 頭の中で、ジギー・バンデル・ルーデンがビートルズをカバーした、『ロング・アンド・ワインディング・ロード』が鳴り響いていた。

 震動が激しくなり、油絵が次々と床に落ちて砕けた。廊下は何度も角に突き当たり、右か左へ直角に折れた。けれど迷路と違って袋小路もなく、進む方向が一つしかないのは、単細胞なおれにはありがたい。すでに腕が抜けそうに重く、震動に何度も足を掬われそうになった。

 やがて前方に光があらわれた。こめかみが張り裂けそうなほど脈打ち、汗が目に入って視界がかすんだ。もう少し気づくのが遅かったら、見事に転倒していただろう。廊下が突然途切れて、コンクリートの階段に変わっていた。光は階段の上から射してくるのである。

「くそったれ!」

 ほとんど立ち止まらず、おれは階段に足をかけた。もし立ち止まれば、その場にへたり込んでしまったろう。ほとんど感覚をなくした足で、階段に食いついた。靴音が虚ろに響き、はっ、はっ、と、どこかで誰かが、おれの声で喘いでいる。いやになるほど、長い階段だった。

 真っ白になった頭の中に、拾い上げたカードの絵柄が浮かんだ。髪に花輪を飾り、祝杯をかかげた二人の女。幸福そうな笑顔。絵の中の男のように、どうしておれは、おれというやつは、いつも女たちを幸福にしてやれないのだろう。失っては後悔し、失ってはまた後悔することの繰り返しではないか。

 アリーシャ、アマリリス、そして……

(な……ぜ、撃った、の……?)

 階段が終わっていた。

 ドアは開いていた。目がくらむほどの光の中へ、おれはよろよろと進み出た。地球をシェイカーにぶちこんだような振動から解放されたかわりに、腹の底に響く地鳴りを感じた。石畳を踏みながら、光の中を懸命に進んだ。ネイルワームと競争しても負けたかもしれないが、一歩でも多く前に進むことしか頭になかった。

 ゴールした長距離走者のように、無数の拍手で迎えられる幻を見た。や、ありがとう、ありがとう。おかげさまで完走できましたよ。またしても大切なものを失ったけれど、おめおめと完走しましたよ。ありがとう、ありがとう……ぐしゃぐしゃに泣いていることに初めて気づいた。

 がっくりと膝をついた。マキの体を地面に下ろし、ひたすら喘いだ。ここは、広くて明るい場所だ。そしてとりあえずは、安全な所だ。地鳴りがひときわ高鳴った。振り返ると、大量の土煙を吐き出しながら、二階建ての瀟洒な洋館が、地下へ沈むように崩れ落ちるのを目の当たりにした。

 崩壊する音の中で、おれはアリーシャの名を叫んだ。

 地鳴りがおさまると、代わって何事もなかったような静寂が訪れた。涼しげな水の音が聞こえた。石畳の広場。噴水があり、花壇があり、樹木が枝を広げている。蝶が飛び、鳥の声が聞こえる。周囲は美しい家に囲まれているが、おれたち以外に人影はない。

 おれは噴水に近づき、水盤に顔を近づけて、獣のように水を飲んだ。それから少し手ですくって、マキの唇に数滴、したたらせた。つややかな唇がわななき、吐息がこぼれた。

「エイジ……」

 彼女は目を開いた。その瞳には、ハシバミの実のような色と艶が戻っていた。

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