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59(2)

 そして奇妙な沈黙がおとずれた。

 IBは、両手を宙に突き出した恰好で静止し、代わりに傷口からの放電だけが、生命を得たように踊っていた。二人のアリーシャは着地した姿勢で、こちらもじっと動かない。花づなから絶え間なくこぼれる花弁が、火の粉とともに舞うさまは、鱗粉を散らして飛ぶ蝶をおもわせた。部屋の奥から、声が響いた。

「見事です」

 少年はいつのまにか黒いマントを羽織っており、そこに仮面の主人がいることも忘れたように、片手で椅子にもたれていた。

「楽しませていただきましたよ。想像以上に、楽しませていただきました。けれどわたしたちは、そろそろお暇しなければなりません。またお会いできるかどうかは、わかりませんが」

 銃声が、かれの言葉を掻き消した。むろん、おれが撃ったのではない。驚いて目をやると、トリベノの手に、25オートを改造したとおぼしい、小型の拳銃が握られていた。銃口からたちのぼる、ひと筋の煙。

 肩を撃ち抜かれたとおぼしく、少年の白いシャツが見る間に赤く染まってゆく。それでもかれは姿勢を変えず、唇にただ皮肉な笑みを浮べた。かすれた声で、トリベノは言う。

「最後まで見届けないのか。まだこいつは生きておる」

「無意味ですよ」

 また銃声が響き、おれは覚えず眉をひそめた。次に赤く染まったのは、左胸の辺りだった。にもかかわらず、少年は倒れないどころか、苦痛の表情ひとつみせない。肩を小刻みに震わせているのは、笑いをこらえているためとしか思えなかった。

(どうなっている?)

 銃で心臓を撃ち抜かれて、死なない人間などいるわけがない。リビングデッドという言葉が浮かんだが、とてもそうは見えない。歪んだ赤い唇を呆然と眺めながら、今さらのように湧き上がってくる、根本的な疑問に圧倒されるようだ。いったいあの少年は何者か、という。

「そうやってまた放り出すつもりか。ジュリエットにしたように。振り向きもせずに去って行けば、それでいいのか」

 トリベノは絶叫していた。

 かれが残り五発の弾を乱射するのと、少年がマントをひるがえすのが、ほぼ同時だった。弾丸はマントに穴を開けたが、少年はそのままダビデの星の幕を踏みつけ、背後の壁へ向かった。配管だらけのコンクリートが揺れて、ぎりぎりときしみ、強大な動力で一部がこじ開けられた。配管が断ち切られ、腐ったガスや液体が溢れた。

 壁の裏に出現した小空間へ、少年は駆けこんだ。内壁が血の色をしたヒナギクの壁紙で覆われているのがわかった。エレベーターだ。少年はこちらへ振り返り、貴公子のように一礼した。扉も何も閉ざさぬまま、たちまちゴンドラが上昇すると、垂れ下がるワイヤーが覗いた。

 シャングリ・ラは「幽霊船」の最上層にあるのだから、さらに建物の上階へ向かったか。あるいは、ここはまだ「シャングリ・ラの地下」に位置するのだろうか。

 仮面の男は置き去りにされたまま、床で砕けたワイングラスを支えた姿勢で、こちらを凝視していた。趣味のよくない退廃派の詩と化したように。

 少年の姿が消えると、まるでそのことを嘆くように、怪物が吠えた。

 二人のアリーシャが顔を上げた。髪がなびいて、両目ともあらわれているが、隠れていたほうの瞳の色は、どちらも緑色だった。カードをたて続けに使ったうえに、花綵の電流を浴びて、相当なダメージを受けているはずだ。現に彼女たちは、身を起こそうとして、危うく倒れかけた。剣を杖がわりにどうにか立ち上がると、銀と緑の瞳をお互いに見交わした。

「よせ……」

 おれは言葉を呑んだ。とどめなんか刺さなくたって、放っておけばそいつは死ぬ。きみたちは勝ったんだ。これ以上の攻撃は、きみ自身を取り返しのつかないほど傷つけるだけだ。そう言いたかったのだが、口に出せなかったのは、おれ自身、その言葉を信じていなかったからだ。

 IBを処理するには、必ずとどめを刺さなければならない。

 二人のアリーシャが歩み寄ると、磁場が発生したように、繭の形をした光に包まれた。花綵のロープがざわめき、次々と新芽を吹いては、花であふれさせた。なぜ彼女がリングを出現させたのか、今ではわかりすぎるほどわかっていた。二人はさらに正面から接近すると、ひときわ強い光とともに、ひとつに融合した。

 彼女が手にする剣は二匹の蛇が絡みあうような二重螺旋を描き、長さも二倍になっていた。極彩色の花弁が絶え間なく吐き出され、ひと振りすれば軌跡が虹を描いた。あまりにも美しい、虹を描いた。

 天使。

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