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旧政権時代には、このての格闘技がえらく流行した。もの好きな金持ちが主催する場合もあったが、基本的には、場末のガレージで娯楽に飢えた労働階級の熱狂を集めた。リングは金網と有刺鉄線と電流に囲まれた。公然と行われる兇器攻撃。ガレージの中では喧騒、悲鳴、血しぶき、そして札束が飛び交った。
当然、命を落とす格闘家も多くいた。むしろ客たちは、それを見に来ているのかもしれなかった。ロックバンドとのセッションもたびたび行われ、観衆の狂騒をさらにあおった。そのまま暴動に繋がる場合もあったが、ガレージを一歩出れば、強大な私兵に守られた首長たちの君臨する世界が、厳然とそびえていた。
首長たちが、違法行為にあたるデスマッチの取り締まりをおざなりにしていたのは、暴動の鎮圧に名を借りた屠殺を楽しむためだったともいわれる。
ロープ代わりの花づなから弾き出される恰好で、怪物はリングの中央へよろめき出た。二人のアリーシャは、花綵に添ってゆっくりと怪物の周りを回り、じわじわと距離を縮めた。次に合図すら交わさず、二人同時にダッシュした。舞踏靴が床を蹴ると、ほっそりとした二つの影が宙に舞った。
鞭のようだった花づなが、風変わりな剣の形に変化した。螺旋を描く刀身に蔓草がからみ、みずみずしい花々を、ほしいままに咲かせていた。彼女たちがジャンプし、怪物の両側から剣を振りおろすとき、花びらが虹をおもわせる弧を描いた。
両手をあげて、怪物はそれぞれの一撃を受け止めた。爪と剣のぶつかる音が、ぎん、と響いた。閃光のように、極彩色の花弁が弾ける。二人は攻撃の手を休めず、次々と打ちこんでゆく。まるでボッティチェルリの描く女神のように、無数の花弁をまき散らしながら。
正直なところ、おれは見惚れていた。時には左右の位置を変え、ときには交互に、あるいは同時に、彼女たちは乱舞した。艶やかな黒髪がベールのようにひるがえり、ぼろぼろのドレスでさえ、エキゾチックかつエロチックな舞姫の衣装をおもわせた。
剣戟の音。彼女たちが気合をかける声。舞踏靴の鳴る音。怪物の低い唸り声さえも、混じりあってリズムを形作り、音楽となって鳴り響いた。陶然となりながらも、おれは絶え間ない戦慄に貫かれていた。美しすぎるのだ。ドームの外側の、汚染地帯から眺める夕映えのように。
美とは、滅びの前奏曲ではあるまいか。
怪物の爪の強烈な一撃が、一方のアリーシャを襲った。刀身でかろうじて受けとめたが、そのまま花綵のロープまで弾き飛ばされた。瞬く間に、蒼ざめた無数の蛇が彼女に絡みつき、全身を舐めた。彼女の絶叫は、ヴァイオリンの悲鳴をおもわせた。
「……アリーシャ!」
エラーではあるまい。
彼女のカードに呼び出されたにもかかわらず、リングは中で闘う者たちを平等に傷つけるよう、最初から設定されていたのだろう。ようやく花綵の責めから解放されると、彼女はうつ伏せに倒れた。剣の柄を片手で握りしめたまま、もう片方の手の指が、しなやかに鍵盤を弾くように、痙攣するのを見た。
もう一人のアリーシャは、攻撃の手を弛めなかった。けれども戦闘力が半減したことで、劣勢が明らかになり、何度か悲鳴を上げ、何度もひざまずいては、床を這いながら爪を逃れた。わざと反撃の手をゆるめて、怪物は楽しんでいるように見えた。さんざん玩んだあと、背後から彼女を捕らえ、見せしめるように高くかかげた。
今にも爪の中で潰されるのではないかと思ったが、ぐったりとした彼女を捕らえたまま、怪物はゆっくりと花綵に歩み寄った。髪に隠れていないほうの、彼女の目が見開かれたとき、華奢な体が容赦なく、花綵に押しつけられた。
弦を掻き鳴らすような、アリーシャの悲鳴。だが怪物とて感電せずにはいられまい。覚えず彼女を解放し、地団太を踏むように後退りした。そこへ背後から、ちょうどCOEが内蔵されているピラミッドの真上へ、一撃を加えた者があった。もう一人のアリーシャが立ち上がったのだ。怪物はのけ反り、背中に火がついたように、腕を背に回してもがき苦しんだ。
彼女をなぶることに気をとられていたため、エナジーシールドが発生しなかったようだ。ピラミッドにヒビが入り、そこから鮮血のような光がこぼれた。エデンのコアと名づけられたその部分は、真紅なのだろう。アリーシャが、ヒビに剣を突きたてようとしたが、これはシールドに弾かれた。意外な素早さで怪物は半回転し、狂ったように反撃に出た。
反撃は、けれどやたらと腕が振り回されるばかりで、これまでの悪魔的な正確さに欠けていた。花づなの間際まで追いつめられながらも、彼女は高く舞い、怪物の頭上を越えて逆サイドに着地した。舞踏靴の音が消えやらぬうちに、もう一人のアリーシャが身を起こした。二人とも片膝を立て、床すれすれに剣を構えて、まったく同じ姿勢で前後に並んだ。
怪物が振り向いた。二人は前後に連なったまま、前の一人が床を蹴ると、わずかに遅らせて、後ろの一人が駆けだした。時間差攻撃! 最初の一撃を怪物は跳ね除けたが、次の一刀は、まともに浴びなければならなかった。むろん、これならエナジーシールドも封印されてしまう。
もともとマキのナイフが突き立っていた怪物の眼玉が、ぐしゃりと潰れるのを見た。斜めに傾いだ怪物の上で、アリーシャは足を開いて踏みとどまると、剣を深々と突き刺し、えぐるように掻き回して引き抜いた。彼女がそこを逃れると、ほとんど爆発と呼べる火花が、大量の溶液とともに吐き出された。