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IBの爪が灼熱して、タウロス二号の金属を溶かした。異臭がたちこめ、耐え難い熱を孕んだ蒸気が吹き上げた。足首は、チャペックのどうしようもないウィークポイントである。いや、神の被造物(それとも失敗作か)である人間にしたところで、二足歩行をするために、かなり無理をしている。
タウロスはたちまちバランスを崩し、引き倒された。代わってIBが、やはりどこの筋肉を用いているのかわからない、異様に柔軟な動きで跳ね起きた。
のしかかってきたIBに、タウロスは三重チェーンソーを突き立てて対抗した。恐るべき回転を怪物は両手の爪で易々と受け止め、たちまちぐにゃりとひん曲げた。チェーンがもつれ、モーターが悲鳴を上げた。あとは目を覆いたくなるような、屠殺ばかりが残された。
哀れなチャペックが粉砕されるまで、三十秒とかからなかったろう。最後に抉り出された眼玉が爪の先で潰される音を聞いて、おれはようやく茫然自失から呼び覚まされた。
立ちはだかる怪物の足もとに、内臓をおもわせる機械がぶちまけられていた。流れ出たオイルは血だまりにしか見えなかった。情念がくすぶるように、蒼いスパークが這いずり、片手の指が、まだ痙攣的に蠢いていた。
一号は肩から火花を吐きながら、じっとこの光景を見下ろしていた。中枢がいかれたわけではないことは、眼玉を見ればわかったが、相棒の死に対してココロを動かされはしなかったようだ。あるいは動かされたとしても、プログラムが作動しなければ行動には移せない。
また部屋が揺れた。いやな地響きの音がした。まるでタウロス二号が、この部屋を支える重要な支柱の一つであったかのように。
怪物はよたよたと、おれたちの方へ向き直った。また笑っていた。表情をあらわす顔は存在しないのだが、嬉々として体を震わせ、地獄で悪魔が笑ったような不気味な声を発するのだ。
「この子はわたしが倒します。これ以上、苦しませないためにも」
囁くように、アリーシャはそう言うのだ。苦しむ? どう見ても、殺戮の寛喜を全身にみなぎらせているとしか思えないが。なぜ彼女は、この化け物が苦しんでいると考えるのか。
「下がっていてください、マスター」
「どうしても、カードを使うつもりか」
「はい。そのために、わたしは来たのですから」
「オムレツを……」
「え?」
「約束してくれ、アリーシャ。どんなに不味くても構わないから、このひどい余興が終わったら、きみの手作りのオムレツを食わせてくれ」
ばかなことを口走っている自覚はあったが、ほかに言葉が見つからなかった。瞬時、彼女は目をまるくしたが、これまで見たことがないほど、花のように唇をほころばせた。
「了解しました、マスター」
おれはうなずいて、彼女の言葉に従った。カードをかざし、片膝を立てて彼女は身をかがめた。足もとに控えていたプルートゥの首輪の上に、それをすべらせた。例の、花綵をもつ双子の天使が描かれたカードだ。
猫の姿が瞬く間に解体されて消えた。床が揺れたかと思うと、四本の柱が出現し、対峙しているアリーシャとIBを七メートル四方の空間に取り囲んだ。次に芽をふくように、一本の柱から太い蔓が伸び、絡みあい、葉を茂らせ、色とりどりの花をつけながら、柱と柱の間を横断した。リングだ。
それは、花づなに囲まれたリングにほかならなかった。そしてアリーシャはというと、いつの間にか二人に増えているのだった。
錯覚ではない。ばかみたいに何度も目をこすったが、花綵のリングの中に、やはり彼女は二人いる。立ち姿からドレスの破れ具合まで、鏡に映したようで、どちらが本物か見分けがつかない。もっとも、真贋といった概念が通用すればの話だが。
二人のアリーシャは、まったく同じ動きで、苦悶するように背をまるめた。出現した翼は、フラ・アンジェリコの描く天使のように、極彩色を帯びていた。それぞれの右手と左手に、まるで太い鞭のように、花綵を一本づつ手にしていた。
怪物が吠えた。瞬く間に、例の予断を許さない動きで突進した。二人は素早く左右に分かれ、中空から双方向に腕を伸ばして放たれた爪の一撃をかわした。同時に着地した二人の顔半分が、乱れた髪の毛で覆われていた。一方が右目を、もう一方が左目だけを、髪の間から覗かせているのだ。
二人が花綵をふるい、IBをしたたか鞭打った。火花が散り、無数の花びらが舞った。後方に弾き飛ばされたIBは、ロープ代わりの花綵に激突した。たちまち無数の太い蛇のような閃光に絡められ、怪物は苦悶の咆哮を上げながら痙攣した。
(これは……)
電流デスマッチではないか!