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 時が凍りつき、すべての動きが止まった。

 アリーシャと手を取りあったまま、おれの視線は、まずトリベノをとらえた。かれは白髪を振り乱して、ほとんど倒れそうな姿勢でテーブルによりかかっていた。

 だらしなくくつろげた襟元。はみ出したシャツの裾。ラッパ飲みしていたであろうボトルを片手に提げ、ダビデの星を見つめる顔は、これほど酔っているにもかかわらず、蒼白だった。紫色の唇が、虫のようにわなわなと震えた。

「余興が……始まる」

 ひどくかすれた声。これまでの、気丈で皮肉屋だった爺さんは、どこへ行ったのか。おそらく精神が崩壊するぎりぎりのところで、正気を保っているのだろう。その気持ちは、けれど痛いほどわかるのだ。

 おれがそうだったから。

 マキと少年は、バロック絵画のような、劇的にねじれたポーズで静止していた。今にも離れようとする彼女の指先を、少年の指がかろうじて繋ぎとめていた。少年の顔に酷薄な笑みが浮かび、マキは目を見開いた。残酷に指が振りほどかれても、彼女は一個の人形と化したように、片足で立ち尽くしたまま。

 少年は彼女に背を向けて、部屋の奥へ歩み寄った。玉座の横を素通りしても、まだ振り返らなかった。仮面の男は、最初に目にした時点から、少しも姿勢を変えていない。ただ、手にしたままのワイングラスが、ぐらりと傾いたかと思うと、スローモーションで床に落ちて砕けた。

 その音は、まるで世界の崩壊を告げるかのように、異様に大きなこだまを返した。

 肩越しに、少年が振り向いた。薄く貼りついたままの笑みは、仮面よりも無機質に感じられた。

「何かと至らない宴でありましたことを、ご容赦願えますよう。これより余興に移りたいと思います。どうぞ、心ゆくまでお愉しみください」

 いきなり片手でつかまれた幕には、急に年老いたような無数の皺が刻まれた。巨大な星をかたどる猛禽の姿が、グロテスクにゆがんだ。力を籠めて、少年は右手を引き下ろした。上部の金具が次々と悲鳴を上げて、文字通り、それは切って落とされた。

 ぶ厚い布地が宙に踊り、床に横たわるまでの時間が、とても長く感じられた。幕の裏側は五メートルほど奥まっており、剥き出しのコンクリートの壁が覗いた。

 大小無数の配管。途中で切断され、垂れ下がったコード。得体の知れないメーターなど、どこの都市地区でもありふれた壁だが、古典的な部屋とのコントラストが異様で、美しいお伽劇の舞台がいきなり崩壊したような、おぞましさに打たれた。


 壁の前に、そいつはいた。


 闇を捏ねた呪いの人形……たしかにそいつは、ネオ・ヴードゥーの司祭たちがこしらえる、呪いの人形をおもわせた。

 身の丈は大柄の男くらい。頭部に相当する部分が存在せず、太い肩から矮小な手にかけて、逆U字型に、だらりと垂れ下がっている。極端な猫背で、ごつごつとした肋を浮かせて腹部はくぼみ、短い脚は両棲類をおもわせる。こころもち開いた股の間から、先細りの尻尾らしいものが覗き、背後の壁に繋がっていた。

 逆U字型の中心、頭部があるべきところには、大きなひとつの眼が据えられていた。

 掃討車やタウロスたちと同じ、人工の眼玉だが、異様に大きく、すさまじい視線が発せられていた。見つめる者をたちまち破滅させるという邪眼……エビル・アイのように。

 怪物はしきりに眼玉を蠢かせ、矮小な腕の先にある三本の爪をわななかせた。間違いない……

 目の当たりにすることで、おれはかたくなに拒否し続けていたそいつの名を、まざまざと意識せずにはいられなかった。

 イミテーションボディ!

 むろん、こんな人型タイプは見たことがない。IBの形状のほとんどは昆虫をおもわせ、変り種がいても、せいぜい魚類か爬虫類に近かった。IBから発生したといわれるワームが、そうであるように。

 ただし、遺伝子改造などによって、人工的に生み出されたものだとすれば、人型もあり得るかもしれない。もともと人の手によって造りだされたIBなのだから、人工的というものナンセンスかもしれないが。イズラウンのテクノロジーはとうに失われ、IBは独自の進化を遂げて、もはや人の手に余る存在と化しているのだから。

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