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56(3)

「踊っていただけるかしら?」

 マキがそう言っているのが聞こえた。アリーシャと顔を合わせた、おれの目は不安に満ちていただろう。彼女は小さく首を振った。介入するな、と言いたいらしい。

 仮面の男はやはり指一本動かさない。バルブを発見したカノウ氏を「消した」張本人が、あの男であることは間違いない。今にもナイフが抜かれるのではないか。憎悪に我を忘れて、襲いかかるのではないか。そう考えると気が気ではなかった。

 男のそばには、例の少年がいる。二体のタウロスも控えている。かれらが武装していることは間違いないし、いずれにせよ、感情的な行動にうったえた瞬間、彼女の命は消し飛ぶに違いない。

 主人の代わりに、少年が礼を返した。

「わたくしでよろしければ」

 二人は踊り始めた。危機的な状況をしばし忘れるほど、それはおれの目を見張らせた。

 ダンスは旧政権のサロンに出入りするための必須科目で、有象無象のダンス教師たちがはびこる温床となった。ある者は、ルイ十五世時代の秘伝のステップなどと称して、サロンにへばりつき、他の者は流行を売りものにして、シンデレラに憧れる少女たちから、小遣いを巻き上げた。

 むろん、マキが旧政権の社交界に憧れていたとは思えないが、サロンを追われて「幽霊船」まで落ちてきたダンスの名人は少なくなかったろう。しかもかれらは、巷のあやしげな教師たちとは格の違う、本物の「社交ダンス」を伝授したことだろう。

 マキの踊りが奇麗なのは、肉体を感じさせないからだ。アリーシャのプリミティブな踊りとは好対照である。アリーシャの場合、ダンスが白熱するにつれて、裸体が強調される。どんな重いドレスを身につけていても、肉体の存在感に圧倒される。

 対してマキのダンスは、衣装がいかに美しく映えるかが計算し尽くされた、いわば貴族的な洗練の極みだ。踊りの激しさが増すほど、衣装そのものがふわふわと舞っているようにさえ見える。そうして、舞い踊るワインレッドのドレスから、剥き出しの背中や、しなやかな脚が稲妻のように仄見えるとき、常に新鮮で強烈な印象を与えるのだった。

「マスターは、何だと思われますか」

 アリーシャの声で視線を戻した。彼女は仮面の主人を睨んでいた。いや、主人の背後に描かれた巨大な猛禽を。

「封印だな。あくまでカンに過ぎないが、あの裏にこそ、宴の本当の主人が居座っているのだろう」

「わたしもそう感じます」

「正直言って、どうやらおれは怖気づいているようだ。頭の中で、答えはとっくに出ているはずなんだが、考えたくない。意識の上にのぼらせることを拒否する何かが、自分の中にある」

 マキと少年は、いつの間にかホールの中央に至り、おれたちのすぐ近くで踊った。二人の会話が、耳に飛びこんできた。

「わたしの父をご存知?」

「いいえ。どのようなお方ですか」

「しがない電気工事屋よ。偶然バルブを発見し、母ともども殺された。あなたたちのしわざよね」

「お気の毒なことをしました」

「教えて。あなたを殺せば、わたしの復讐は果たせるのかしら」

 仮面の男ではなく、なぜマキは少年を問いつめるのだろう。今やかれの声は少女のような美声に変わり、動作も少年らしい機敏さを取り戻していた。挑発的な笑みを洩らして、かれは言う。

「おそらくそうはならないでしょう。報復の連鎖は不毛だと、ツァラトゥストラの教えにあります。どちらかが勇気をもって連鎖を断ち切らない限り、苦しみの種は決して尽きません」

「奇麗事を。苦しみの種を育て、世界にばらまくのは、あなたたち狂信者でしょう」

「そうかもしれません」

「今さらそんなことを言っても始まらないけど。要するに、最後に倒すべき相手は、あなたではないということね」

 ワルツは狂おしさを増し、二人の動きが激しくなって、声が掻き消された。アリーシャはささやく。

「わたしはそのために、ここへ来ました」

「えっ」

「マスターの恐れを取り除くために。だから仰ってください。あそこに封印されている、呪われたものの名を……」

 不意に、音楽が止んだ。

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