7(2)
おれは混乱した。あの狂気の実験室で、カプセルの中に横たわっていたからこそ、恐ろしげだったが。今こうして、エプロンをつけてもじもじしているところは、普通の、いや普通以上に可愛らしい女の子にしか見えない。
だがしかし、これが擬態に過ぎないことは、ゆうべ思い知らされたばかりではないか。彼女が超殺戮兵器であればこそ、外見は無力さを装ったほうが何かと有利にはたらく。それこそ新東亜ホテルの客室係のふりをして、泊まり客の要人を、強化人間のボディーガードごと抹殺することもたやすい。とはいうものの……
「あの、お食事になさいますか? すぐにご用意できますけど」
少女のこまったような顔を見ていると、さすがに居たたまれなくなる。いじめているような気がしてくる。変態博士ではないが、ヒトはなんと情緒に弱い生き物か。
「きみは、その……おれに危害を加える意志はないのか」
我ながら間の抜けた質問だ。もしそのつもりでも、ハイと答えるばかはいない。少女は、本当にわけがわからないといったふうに、また小首をかしげた。
「マスターがそれをお望みになるのですか」
「は?」
「マスターがそれを望まれるのでしたら、ご命令どおり致します」
少女の目つきが変わった。掃除機のノズルを放り出し、素早く片膝をついて、左手を突き出した。こちらへ向けて真っ直ぐ伸ばされた指が五本とも、ハガネ色の、鋭い円錐形に変化した。
「わあっ! 望んでないし望んだ覚えもないし金輪際望まない!」
「では何をお望みですか」
「そ、そうだな。いっ、一服しよう。うん、そうしよう。コーヒーでも紅茶でも梅昆布茶でも何でもいいから、とっ、とりあえず淹れてくれないか」
そう言ったとたん、目の表情が和らいだ。左手が瞬く間に復元し、上品な仕ぐさで立ち上がると、両手でスカートをちょっとつまんでお辞儀した。
「かしこまりました」
胡蝶のような白いリボンを、ふわりと揺らして、キッチンのほうへ行きかけ、思い出したように立ち止まった。おれの心臓が一秒ほど止まったが、振り向いた目つきは柔和だった。
「伝言がありました。十一時ごろ、八幡商店さまがお見えになるそうです」
彼女の姿が見えなくなると、おれは床にへたりこんだ。鼓動が高鳴り、汗でシャツが貼りついていた。時計に目をやるとまだ九時すぎ。最近のおれとしては、とんでもなく早起きだ。八幡ブラザースが来るのは、おそらく彼女の「取り扱い説明」のためだろう。けっきょく表向きは、家事用チャペックを一体、購入したことになるのだろうか。
得体の知れない超兵器を押し付けられたうえ、金までとられてはかなわないが……軽い食器の音が止んで、少女が顔を出した。
「お待たせしました。どちらでお召し上がりになりますか」
「そっちへ行くよ」
キッチンは見違えるほど片付いていた。スペースの三分の二以上を占めていたゴミの山が、奇麗さっぱり消滅し、流し台から床に至るまで、ピカピカに磨き上げられていた。ダイニングテーブルには、清潔なテーブルクロスがかけられ、鉢植えの花まで飾ってあった。ユリの花に似た赤い……
(この花が一番好きなの)
頭の中で、たどたどしいピアノの音が鳴り始め、おれは思わず、こめかみを押さえた。白い霧の向こうで、柔らかな笑顔の幻影が揺れた。赤い花。妻が一番好きだった……
「……アマリリス」
「はい」
「えっ?」
テーブルに片手をついたまま、おれは目を開けた。ユリに似た赤い花から、少女へと視線を移した。ティーカップの載った盆を手にしたまま、彼女は微笑んだ。
「昨夜、マスターにつけていただきました。わたしの名前です」
薔薇の紅茶は申しぶんなかった。比べては申し訳ないが、ナナコ七式にここまで繊細な芸当はできない。彼女は……アマリリスはまるで人間そのものではないか。円い盆を胸に抱いて、かたわらに立っている少女を見上げた。とても、人造人間とは思えない。
「きみは、その……紅茶は飲めるのか」
「はい。いただけます」
「じゃあ、きみのぶんも用意して、ここに座ってくれないか」