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この星は古代宗教のシンボルとして有名だが、民間の呪術者たちは、ソロモンの星と並び、これを封印として広く用いていた。
そう……これは封印に違いない。あの幕の後ろに、何かが封印されている。
呪われた、何かが。
仮面の主人は依然として微動だにしない。美食と怠惰に浸されて、骨の髄まで腐ってしまったのか。肘掛けにもたれた左手には、ワイングラスを持っており、どす黒い血をおもわせる液体が、三分の一ほど減っているのがわかった。
タウロス一号と二号は、おれたちを両側から挟みこむ恰好で立っていた。給仕しているようにも見えるが、監視しているともとれる。
少年が身をかがめ、主人の耳に何事か囁いた。次にかれは椅子のそばを離れ、やはり小テーブルに載せられた木製の箱に近づいた。箱からは、奇態なユリ科の花のような、真鍮の筒が突き出ており、その下に黒い円盤が載っていた。
箱の側面に取り付けられたハンドルを回せば、円盤が回転を始めた。かたわらのアームを円盤の上に移動させ、先端を落とすと、真鍮の筒から、夜想曲とおぼし音楽が流れ始めた。その音は、磨き抜かれた市松模様の床に反響し、部屋じゅうに響きわたるのだ。あたかも部屋ぜんたいが、共鳴板と化したように。
再び少年は主人のかたわらに戻ると、今度は自身が、耳を蒼白な仮面の前に近寄せた。むろん、声はおろか、唇が動いたかどうかさえわからない。次に、我々に向かって少年は言うのだ。
「シャングリ・ラへようこそ。今宵はささやかな宴を用意しておりますので、どうかお楽しみくださいますよう」
まず驚かされたのは、少年の声である。声変わりさえ疑わしい外見とは裏腹な、太く響くバリトン。そもそも聖歌隊に属する以上は、ボーイソプラノでなければならないはずだ。しかも喋る時のかれの動作は、これまでの小動物的な敏捷さをすっかり失って、のろのろと重々しかった。まるで、脂肪の檻の中でもがいているように。
少年の変貌ぶりは、有無をいわさず、フォックス教の巫女を連想させた。死人のタマシイを呼び出し、おのれの肉体に乗り移らせることで、あたかも死んだ人物のように振る舞う。その人物と巫女が未知の間柄でも、死人の親族が見れば、まさにその人物を目の当たりにしているようだという。
ならばこの男は、もはや生きてはいないのか。目を見開き、うなだれることなく、ワイングラスを手にしたまま、こと切れているのか。そうして男のタマシイが少年に乗り移り、かれの意志を伝えているというのか。
それとも仮面の男は生きており、肥満によって動けなくなった自身の代役を、少年に一任しているのか。たぶんそうだろう。タマシイがどうのこうのと考えるより、そのほうが百倍合理的ではないか。
「相変わらず、もったいぶった演出がお好きなようだの。その点は、案外、あんたの兄貴とそっくりなのかもしれんて」
トリベノがそう言った。少年は痙攣的に頬をゆがめ、調った顔を皺だらけにして微笑した。
「お久しぶりですね、ドクター」
「ワガハイだけではない。ジュリエットにも挨拶してほしいものだな」
少年の顔に、瞬時、驚きが宿るのをおれは見逃さなかった。ジュリエットとは、爺さんがモグラ型マシンにつけていた愛称だ。かれはモグラの心臓部を取り外し、リュックに詰めて、今もタキシードの上から背負っている。そいつがなぜ少年を、いや、少年の体を借りているとおぼしい、仮面の主人を驚かすのか。
「急ごしらえの宴なもので、何かと不行届きで。どうかご容赦願いたい。タウロス、お客様におもてなしを」
ぎちぎちと足音が近づいてきた。タウロス二号の手した盆には、四つのワイングラスが載っていた。どれも執拗なまでに磨き上げられ、中に燭光を浮べていた。四人とも、受けとることを拒まなかった。次に一号が、ワインの瓶を持って歩み寄った。グラスに注がれたのは、仮面の男が手にしているのと同じ、どす黒いほど濃い赤だ。
いつの間にか少年の手にも、同様のグラスが握られていた。仰々しい動作でかかげるさまは、かれの年若さを忘れるほど、貫禄に満ちていた。
「諸君の未来を祝福して」
「はん。過去の間違いではないのかね」
そう言いながら、トリベノはひと息にグラスの中身をあおった。半ば毒ではないかと疑っていたおれは、少なからず慌てた。けれどかれの体に異変が生じる様子はなく、また注ぎ足されたワインを飲みながら、平気で果実をつまんで食っている。
「こんな時にこそ、栄養をとっておいたほうがいいぞ、お若いの。なに、余興が始まるまで、やつらは我々を殺したりはせんよ。余興まではな」