表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/270

51(4)

 だれに訊くともなく、おれはつぶやいた。情けないくらい、声が震えていた。

 形状は、ほぼカノウ氏が遺したラフスケッチどおり。インクで染めたような青い水の底に沈む、巨大なタマネギ。その最もふくらんだ部分に、船形の「眼」が一つ。内部で何を燃やすのか、そこで緩やかな強弱を繰り返す光が、円筒形のプールをとおして、ドーム全体を照らす主な光源になっていた。

 ぶ厚い壁をとおして伝わる振動。禁断の経典「クル・アル・ル・アーン」を読み上げる断食僧の声のように、震動は低い唸り声と化して、薄闇を呪いの言葉で満たすようだ。

 バルブに関するおれの知識は、通り一遍等でしかない。実在すら疑われる、IBに関するおびただしい伝説の一つといった認識だった。だから、タマネギの化け物の中身が、どういった構造なのか。キュクロプスのような一つ眼が何を意味するのか、まったくわからない。伝説によると、IBを新たに建造するために、バルブが必要不可欠であるという。

 子宮のように、あのタマネギの中で何かが生まれつつあるというのか。胎動し、薄く眼を開け、震える腕を差し伸ばそうとしているのか。一部の気の触れた連中にとって、IBを飼い慣らすことは、最大の宿願である。もはや手の施しようがない荒野のIBどもと異なり、みずからの手で新たに生みだせば、狂気の宿願はより成就されやすくなる。

 見てはいけないもの。ここにあってはいけないもの。

(マスターがそれを望まれるのでしたら、ご命令どおり致します)

 呆然と、おれは目を見開いていたに違いない。アマリリス……

 きみもバルブの中で生まれたのか?

「なに、単なるレプリカだよ。オリジナルでもなければ、たいして珍しいものでもない」

 いつの間にかトリベノが立ち上がり、錆びたパイプにもたれていた。ようやく減らず口を叩ける余裕を取り戻した、といったところか。

「煙草を一本くれぬか」

「闇煙草屋にたかられるとはな。珍しくない、とはどういう意味だ」

 よれた煙草を指で伸ばし、トリベノはライターをともした。炎に浮かぶ顔は蒼白で、十歳も老けたように感じられた。

「不思議だと思わんかね? なぜ我々は、IBに駆逐されておらん? 通常兵器をはるかに陵駕し、人間への憎悪に駆られた連中が、荒野にごろごろしているというのに」

 むろん、そのことは、おれも考えないではなかった。普通考えずにはいられないだろう。都市地区なんて、荒野に浮かぶ離れ小島のようなもの。そして荒野は、かれらの領域である。集団で都市を囲み、一つずつ潰していけば、ひとたまりもあるまい。

 けれど、かれらがほとんど集団行動をとらないことは、処理班時代の経験から、知悉していた。群れてもせいぜい、二、三体がいいところ。共闘する知能がないわけではあるまい。プログラムによる抑制など、様々な説が唱えられたが、統率者の不在が、最も有力な説として、これまで信じられてきた。

「ボスがいないせいだと、聞いているがね。これも伝説といえばそうなんだが。第二次百年戦争末期に、人類に反逆をくわだてた、そもそもの大もとであるボスが破壊されたとか」

「いわゆる、総統IBというやつだな。そいつに関しては、ワガハイも一家言持っておるが、ここでは触れまい。やつらが骨抜きにされた状態に甘んじておるのは、バルブのせいだという噂があっての。むろん、オリジナルのバルブは一つしかないが、こういったレプリカが複数建造され、世界各地に散らばっているというのさ」

 極秘裏にな。そう付け足して、トリベノはゴーグルの上で眉根を寄せた。おれはぞくりと肩を震わせた。

「何のために? IBを新造する以外の、どんな使い道があるというんだ?」

「逆にIBへの抑止力になっているというのだよ。よくある話じゃないか。人間という、どうしようもなく愚かな生きものは、核兵器をちらつかされるまで、世界戦争をやめなかった。しかしそいつがマガイ物の平和であったことは、核からIBへ至る歴史が証明しておる。核のお次が、バルブだったのさ」

「あんたの文明批判なんか、聞きたくもないね。世界を引き締めるためのバルブ……弁があるだなんて、まるでお伽話じゃないか。弁をことごとく緩めれば、世界はばらばらになっちまうと言いたいのかい。いったい誰が、いつの間にそんな大掛かりな仕掛けを作ったんだ?」

 トリベノは無言で煙を吐き出した。足もとで水の音が聞こえ、あやうく飛び上がりかけた。水面に大きな波紋が広がり、甲殻類じみた黒い影が沈んでゆく。水棲ワームが跳ねたらしい。トリベノは言う。

「少なくとも、今言えることは、ここにバルブのレプリカを発掘して、何事かを仕出かそうとしている連中がいる。もしくは、いたということさ。行きますかな」

 最後の一言は、マキに向かって発せられた。彼女は身を起こし、わずかにうなずいた様子。おれの意向を無視して、話が進んでいることは気に入らなかったが、かといって、ここで茶飲み話に興じている暇はない。

「わかったよ。行けばいんだろう」

 おれはプールの上にわたされた、いかにも危なげな橋に足をかけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ