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瞬時、洒落にならない状況を忘れて、電子回路を見つめた。陸棲の貝が無数に這い回ったような模様の中に、時おり緑色の光が走り、そのパターンは、明らかにプルートゥの首輪と共鳴するものがあった。
嵐の夜にも似た咆哮が前方から聞こえてきた。
赤い化け物は胴体が裂けた口から無数の舌を出し、退化した爬虫類のように蠢かせた。存在しない首の辺りでざわめく毛髪の中にも、いくつもの眼球が出現した。あのぶよぶよと揺れ動く退化猿人の群体の中へ、何の土産もなく突っ込む気にはとてもなれそうになかった。
トリベノは何を思ったか、モグラの速度をフルに上げたようだ。あらゆる関節が悲鳴を上げ、怒号するエンジンが真っ黒い煙を吐いた。いつまでも迷っている暇はなさそうだ。見れば黒猫は相変わらず目の前におり、置物のような姿勢で前を向いていた。
「プルートゥ、ご主人に無断で力を借りるぞ」
振り返らずに猫はミャアと鳴き、おれは勝手にイエスと解釈した。金属の箱をつき出したが、なにせぶ厚いので、アリーシャの華麗なポーズとは程遠い。首輪となるべく水平になるよう気をつけながら、カード詐欺師の心境で箱を滑らせると、覚えず腕を引っ込めかけたほど、ぶううーーんという、強い電気的な震動が伝わった。
スパークしたかと思うと、ぼん、と音をたてて金属の箱が破裂した。さいわい、回路側が弾けたので、手首ごと吹き飛ばされずにすんだ。煙を吐く箱を放り出しながら、猫の首輪が真紅の光を放つのを見た。認証されたのだ。テレヴィジョンの電波が乱れるように猫の体が揺れたあと、むくむくと黒い影と化して、見る間に膨張をはじめた。
「うわああああっ!?」
おれの叫びは、多分に疑問符を含んでいた。
もちろん「偽造カード」はアリーシャの「純正の」カードとは、わけが違う。何も描かれてないのだから、プルートゥが何に変化するのか、鬼が出るかヤブから蛇が出てくるか、まったく予測不可能である。ただ叫びながら、呆然と影法師が何らかの形を描くまで、見守っているしかなかった。
固体の影は三次元的な幅を保ちつつ、前方へぐんぐん細長く伸びた。やはり純正品でなかったためか、アリーシャの時より時間がかかる。造型に苦しんでいるように見える。それでも影が懸命に描こうとしているのは、まったく未知の物体ではない。むしろおれにとって、馴染みの深い形に思えてくる。
「機関銃? いや、違う……」
ガトリング砲ではないか!
それも博物館でさえお目にかかれないような、最高に古いタイプだ。レトロ銃器愛好家のおれでさえ、呆れて二の句が告げないほどに……前面が蓮の実を描く複数の砲身から成るのは、ガトリング砲だからまあ当然だ。問題は背面だ。そこにはルナパークのピエロが掻き鳴らす手回しオルガンについているような、ハンドルが取りつけられていた。
(猫のしっぽが化けたのかな)
この期に及んでそんなことを考えつつ、機関砲の脚がモグラのボディーにしっかり食い入っていることを確認して、おれはハンドルをつかんだ。それはひんやりと、金属的な冷たさを保っていた。もやは前は見なかった。咆哮と腐臭。それ以上に圧倒的な、まがまがしい気配の塊が間近にせまっていた。
ハンドルを回した。
轟音と火花。そして薬莢があとからあとから弾け飛んだ。あれも猫の体の一部かと思えば、少々心配になるが、とっくに質量保存の法則など超越している。耳を覆いたくなるような化け物どもの叫喚の中、飛び散る臓物をさらに粉砕しながら、確かな手ごたえを感じた……
「ガトリング砲になることは、最初からわかっていたのか」
煙草に火をつけて、おれは尋ねた。運転席から盛大にリベットをまき散らしながら、トリベノは言う。
「いいや。鬼が出るかヤブからツチノコが出てくるかは、まったく未知数だったよ」
「何の脈略もなく、ガトリング砲に変化したというのか。ちょっと不条理すぎないか」
「お前さんも理屈が好きだのう。ミャクラクならあるよ」
そう言ってトリベノは顔を持ち上げ、異様に柄の長い複合ドライバーの先をこちらへ向けた。
「え?」
「さよう。偽造カードをお前さんが用いれば、何らかの銃器になるだろうとは思っておった。もしお嬢さんが用いていれば、おそらく刀剣と化したようにね」
煙にむせていると、マキと目が合う。仮面ごしに、驚愕の色がうかがえるようだ。おれはうなった。
「ガンスリンガーとしての……いわばあれは、おれの夢が具象化された姿だったのか」