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6(2)

 壁のほうを向いて、その体は横たわっているらしい。ほんのわずか、背中をまるめて。毛布で顔を覆うようにして。

 ライターの炎に映えて、髪の毛がしっとりと光沢を宿す。エナメルをおもわせるが、金属的な硬さは感じられない。呼吸にあわせて、肩がかすかに上下する。羽毛のような寝息が聞こえた気がした。

(イミテーションボディも、夢をみるのだろうか)

 炎を消すと、ほっそりとしたシルエットはまた闇に覆われた。まるで、夢そのもののように。


「極めて情緒的な問題からだよ。ヒトは所詮、情緒という飴玉をしゃぶっていなければ、せちがらい世の中を生きるに忍びない、じつに脆弱な生き物だ」

「おれがこの核弾頭より危険な女の子の、お守に向いていると?」

「いかにも。娘にするにはちと大きすぎるが、年の離れた妹くらいに考えれば、かわいいものだろう」

 冗談じゃない。おれはそうつぶやいて、拳を握りしめた。何が情緒だ。さっき彼女の左手が瞬く間に変形して、弾丸を木っ端微塵にするのを目の当たりにしたばかりだ。そこには、イミテーションボディがまるごと一体、封じこめられているという。

「カプセルごと、地中深く埋めてしまうのが最善策だ。北の境界から二十キロほど行ったところに、廃坑があるだろう。あそこに放りこんで、上からハッパをかければいい」

「はん、たとえ日本海溝に沈めても、その気になれば、この子は自力で這い上がることができるよ。そうして、この子のような存在を涎が出るほど欲しているヤカラに、みすみす利用されるのがオチだ。次にきみが彼女と会うとき、これほど友好的な対面になるとは限らんよ」

 返す言葉がなかった。

 おそらく、そのとおりだろう。古い諺にもある。一度動き始めたIBは、誰にも止められない、と。

「酷なようだが、エイジくん。運命だと思ってあきらめるんだな。今すぐきみは二つの選択肢のうちの一つを選ばなければならない。すなわち、彼女を味方につけるか。それとも、敵にまわすか、だ」


 闇の中で煙草を吸うのが好きだ。ほんの鼻先で、蛍火ほどの炎が楽しげに瞬き、次に紫煙が宙を舞う。眠れぬ夜にあらわれる、羊たちの亡霊のように、煙は闇の中でジーグを踊る。

 もし眠れぬ夜が訪れたとき、彼女は何を数えるのだろうか。


 今をときめくメタルスター、ジギー・バンデル・ルーデンの超絶テクをおもわせて、キーボードを叩く黒木の指は見えなかった。漆黒の夜のようなモニターの中を、白い数字や記号が星の数ほど流れてゆく。

 このいかにも旧式のノート型コンピュータは、少女の眠るカプセルに直に接続されていた。さらにもう一台の、似通ったコンピュータがそれに繋がれ、こちらのモニターでは無数のポリゴンが描き出す少女のシルエットが、刻々と変化するグラフや数値に囲まれて、ゆるやかに回転していた。

 一時間近くも、キーを叩く音だけがうつろに響いていた。そしてかなり唐突に、黒木の指がぴたりと止まった。おれの顔を注視しているが、相変わらず一言も発しない。代わりに博士が口を開いた。いつになく、緊張に上ずった声で。

「セットアップ完了だ。起動させるには、きみが名前を考えなきゃいかん」

「名前を?」

「もちろん、この子の名だよ。決まったら、そっちのモニターに手をかざしてくれ」

 当然おれは戸惑った。子供どころか、仔猫さえ飼ったことがない。人生において、何かに名前をつける経験なんて、これが最初ではあるまいか。黒木は感情のない目を、対して博士は好奇の眼差しを注いでいる。額に汗を浮かべたまま、おれは目を閉じた。

(この花が一番好きなの)

 単調なメロディが、頭の奥で鳴っていた。玩具のピアノを叩くような、あるいはよちよち歩きをするような、たどたどしい音……おれは目を開き、こくりとうなずいた。

 モニターからはいつのまにかポリゴンが消えて、ほとんど真っ白になっていた。そっと右手をかざすと、そっくり同じ輪郭があらわれた。黒木に目で促され、おれは手をかざしたまま、カプセルの中を覗きこんだ。

 名を呼んだ。白い光があふれた。培養液の中で、少女はゆっくりと目を開き……

 花のように微笑んだ。

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