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泥炭のほの暗い炎が、異物のように居座っていた。
繰り返しになるが、現在、デイタンという単語は本来の意味をとっくに失っており、可燃性の汚染物質くらいのニュアンスで用いられる。むろん、多少なりとも放射性物質を含んでいると考えられるが、気にする者はあまりいない。気にしていては、この断末魔のような世界では生きていけない。
地上が日没を迎えると同時に電気の供給がカットされ、地底は再び闇につつまれた。おれとマキは、ここへ来て二度めの夜を迎えた。歓迎する気などさらさらなくとも、この黒マントの影法師は必ずやって来る。ほとんどが夜行性であるワームどもや、あのおぞましい退化猿人を引き連れて。
もとは何の施設だったかわからない、ドーム状の壁の内側に、おれたちは身をひそめていた。壁の割れめからモグラを引き込んでも、半分ほど余るスペース。トーチカに似ており、現に、銃眼をおもわせる小さな窓がいくつか開いていた。
缶詰を温めた夕飯のあと、おれたちは泥炭のまわりにうずくまり、ぼんやりと赤黒い炎を見つめていた。長い間、口をきく者はだれもいなかった。
当面、懸念されるのは、退化猿人の再襲来である。怪物どもは明らかに知能らしきものを有している。行動の根底には、まるでIBのような人間への憎悪がうかがえる。復讐にあらわれないと考えるほうが不自然だろう。
とはいうものの、おれの頭は、何度も膝の上からすべり落ちそうになった。ごく短い夢が断続的に、あらわれては消えた。要するに、こくりこくりと、なかば居眠りしている状態。いつ化け物が襲ってきても不思議ではない状況にありながら、あまりにも甘美な睡魔の誘惑に屈しかけていた。
泥炭の向こうで、爺さんはあぐらをかいて座り、しきりに猫の背を撫でていた。漆黒の、つややかな毛並みの上を、骨ばった手がすべると、静電気なのか何なのか、細かな緑色の火花がこぼれた。黒猫は糸のように目を細くし、ときおり咽の奥から、ごろごろと声を洩らした。
トリベノの視線は、けれど、猫の赤い首輪の上に、じっと注がれていた。注視するだけで触れようとはしなかったが、少なくともジャンク屋の一彦が言ったことと、同じ事実に気づいているのは確実だろう。
モグラはシルエットと化したまま、沈黙を守っていた。「眼」の光も消えて、爪を揃えてうずくまった姿は、眠れる異獣そのものだった。マキはナイフの手入れに余念がなかった。ずいぶん減りもし、退化猿人の血で汚れたりしたナイフたちを磨き、帆布の上に一本ずつ並べてゆく。おれはまだ、例の絵地図のことを切り出せずにいた。
引き潮のように、また意識が遠退いてゆくのがわかった。
声のしたほうを振り返ると、瓦礫の間の暗がりで、ちかちかと瞬く緑色の星が二つ見えた。もう一度可愛らしい声がして、それが生きた猫の目にほかならないことを確信させた。
ある意味、IBと出くわすより驚きは大きかった。こんな場所に、小型の哺乳類が単独で棲息できるイワレはない。なんらかの理由で「落ちて」きたのだとしても、五秒を待たずにワームの餌食になっているだろう。武装した人間ならともかくも、ここで生きた猫にばったり出会う確率は限りなくゼロに近い。
マキがむしろ周囲に目を配ったのは、おれと同じ考えを抱いたからだろう。必ず近くに「飼い主」がいなければならぬと踏んだのだ。
こいつがチェシャー州出身の猫でない限り。
けれど少なくとも半径百メートル以内は、ブルドーザーで慣らされたような瓦礫の原で、猫ならともかく、人が隠れるスペースなどまったくない。ならばやはり奇跡的に生きのびた幸運な猫だと考えるよりほかにない……と、トリベノがおれたちを追い抜き、緑の星の前にしゃがんで、チッチッチと奇妙な音を鳴らした。
今どき、それではクロック鳥もおびき寄せられまい。そう考えた矢先に、緑の星はゆっくりと瓦礫の下から這い出してきた。すらりと均整のとれた肢体。夜の闇そのものを身に纏っているような、つややかな毛並み。ぴんと尻尾を立てたまま、この小動物は後ろからトリベノの足もとに回りこみ、胴をすりつけた。
すりつけるとき、緑色の火花が散った。首に巻かれた赤い、不可思議な金属の輪。そこに浮き彫りにされた、古代装飾めいた模様は、見違えようがなかった。
プルートゥ!
驚愕に目を見開いたおれを無邪気に見上げて、猫はまた可愛らしく鳴いた。
「夢でも見たのかね」
「いや、現実は夢よりも奇なり、ってね。夢の演出家がどれほど奇想を凝らしても、たちまち現実に追い抜かれちまう。商売上がったりというわけで、路頭に迷ったかれらは、売れない詩人たちと場末の酒場でクダを巻いているのさ」
「きみこそ詩人だねえ、エイジくんとやら。時に、ワガハイに何か言いたいことがあるんじゃなかろうか」
「察しがいいね。しばらく彼女と二人きりにさせてくれないか」
銀色の刃の上から、マキが視線をこちらへ移すのがわかった。