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45(3)

「とりあえず、二人とも下手に動いてはならぬ。武器は厳禁。とにかく、ちょっと待っておれ」

 とても対策とは呼びがたい意見だが、従うほかに、どうしようもなかった。

 退化猿人どもの眼光は熱をもつのか、闇がねっとりと、肌に纏いつくようだ。何かがぞろぞろと蠢く、おぞましい気配が大気を満たし、奇怪な含み笑いや、わけのわからない話し声がそれに混じった。この中でじっとしているのは、なかなか至難の技である。

 マキの細い肩が、かすかに震えているのがわかる。常人ならヒステリックに叫びだしているところ、仮面の下で唇を噛んでいるのか、懸命に沈黙を守っている。そのことが、彼女がこれまで耐えてきたプレッシャーのすさまじさを想起させた。

 ここで忘れずに明記しておかねばならないのは、トリベノが何らかの装置を操作した形跡が全くなかったことだ。むろん、大昔のニンジャ小説のように、呪文を唱えたり、印を結んだりもしなかった。ただ小声で「伏せろ」と言ったばかりである。

 轟音と頭上をすっ飛んで行くドアは、掃討車による襲撃の再現といえた。怪物どもはかん高い警戒音を張り上げ、翼を広げて飛び回った。しかしいったいあの頑丈な鉄扉を、何者がスッ飛ばしたのか。顔を上げて見れば、土煙にかすんで、上下に二つ並んだシグナル状の赤い光が、闇の向こうから覗いていた。

 モグラだ。

「ジュリエットだと言うに」

 何も言っていないおれの頭を、トリベノはポカリと殴った。それを合図に、おれはマキの手を引いて駆け出した。このあたりも昨日の体験そのままだが、今回は走る方向が反対だ。信じがたい素早さで、爺さんはとっくに先頭を駆けていた。ヘルメットの上から怪物に蹴られて、痛てっ、などと間の抜けた声を上げる。おれは頭上に毛布をかざし、彼女ごと包む恰好。

 ここだここだ、と言わんばかりに、モグラは赤い「眼」を明滅させた。まっ先に飛び出した爺さんは、巨大な爪を足がかりにボンネットを踏み越え、運転席に転がりこんだ。この爪が、扉をぶち壊したのに違いない。おれたちも跡に続くと、すでにレバーを握ったトリベノが、顎で後ろを指した。運転席と荷棚の間に隙間があり、二人くらいはなんとか納まりそうである。

「しっかりつかまっておれ!」

 いったい何につかまればいいのかと突っ込む間もなく、トリベノはレバーを、めいっぱい後ろに引いた。ぎゅるぎゅると、キャタピラが空転する恐るべき音が響いた。さすがにマキが悲鳴を上げた。振り落とされなかったのは奇跡である。背後で瓦礫を粉砕しながら、モグラは猛然と後進した。


 星が見えたような気がする。けれどもそれは、おれの目から飛び出た星だったのかもしれない。


「エイジ、撃って!」

 マキの声で我に返った。いつの間にかモグラは頭を前にして、すさまじい土煙を生み出しながら進んでいた。土煙の中に赤い星が揺らめいた。こんなに赤く輝く人工衛星は見たことがない。ぼんやりとそう考えたとたん、憎悪をぎゅっと凝縮したような顔が面前で牙を剥いた。

 ギィィィーーーーーーッ。

 額を撃ち抜いた。トリベノの頭にとまった一匹を、マキがナイフで両断した。血や臓物が飛び散り、蛾とも鞘翅類ともつかない昆虫と化して逃げ去った。M36を撃ち尽くし、パイソンを抜こうとした手をマキが留めた。周囲から、不吉な星々はすでに消えていた。

 やがて熱病じみた光が、徐々に闇を溶かしはじめた。地底における夜明け。ようやく発電機が息を吹き返したらしく、少なくとも、闇を棲みかとする化け物どもの襲撃からは、一旦逃れられたことを意味する。壁だけ残った建物の脇でモグラが止まり、トリベノの背中が大きく伸びをした。

「ケガはないかね?」

「安全運転のおかげでね。盛大にたんこぶをこしらえた程度さ」

「お前さんの脳細胞は、ちょっと刺激を与えたほうがよいかもしれんよ。一服するかね」

 肩越しに投げてよこした箱を、あやうくキャッチした。どうやら爺さん、隠れ家に持ち込んだ頭陀袋を、しっかりつかんで逃げたらしい。しかめ面を浮べて、贋麻薬の封を切った。火を探してポケットをまさぐっていると、隣からマキがマッチを差し出した。彼女もまた、リュックを持ち出すことを忘れなかったようだ。

 おれはというと、毛布を一枚、引っつかむのがやっとの有様。しかもそいつは、怪物どもの空襲にさらされて、見るも無残に裂かれていた。煙を吐きながら苦笑いを浮かべ、毛布を外に放り出した。その下から、例の『電気技術の歴史』があらわれたときは、我ながら呆れた。

 こんな役にもたたない古本を、後生大事に抱えて逃げたらしい。

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