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 もの音を聞いたのは真夜中頃だろうか。

 夜気に浸されて、電灯の明かりが心なしか暗くなったように感じた。

 マキとトリベノは、毛布にくるまり、思い思いに横たわっていた。仮面の中に、マキの寝顔は確認できないが、軽い寝息が夢の中にあることを示していた。爺さんのほうは、折れ釘のように腰を折り曲げ、周期的にイビキをかいては、静まることを繰り返した。さっきイビキが止んで数分後に、例のもの音が響いたのだ。

 カリカリと、入り口のドアを、外から爪で引っ掻くような音である。

 おれは壁に寄りかかったまま、本から顔を上げた。虫食いだらけのこの本は、『電気技術の歴史』という、カノウ氏が無聊をなぐさめる目的で持ち込んだものとおぼしい。専門書かと思いきや、なかなか楽しい読みもので、とくに天才的変態科学者、ニコラ・テスラに割かれた章は、そのへんの三文小説よりもはるかに面白かった。

 音は続いていた。

 ともすると、常に響いている重低音に掻き消されるほど、かすかな音だ。けれど確実に、ドアの下から四十センチほどの部分を、恨みがましく、執拗に引っ掻いていた。

 う、ん、とマキがうなって、寝返りをうった。おれは肩にかけた毛布の下で、脇のホルスターに手をしのばせた。パイソンのグリップは兇器特有の冷たさを維持しており、不安を静めるのに役立った。

 十五分ほどして、音はぱたりと止んだ。かわりに、ククッ、という、含み笑いするような、気味の悪い声が聞こえた。しかも爪の音と異なり、明らかに部屋の中から聞こえたのだから……

(やれやれ)

 おれは右手の位置をずらし、ジーンズのポケットからM36を抜いた。

 本を片手で支えた体勢のまま、室内に視線を走らせた。マキがまた苦しげな声を上げた。反射的にそちらへ目をやったとき、叫び声をおし殺すのに、すさまじい労力を要した。なかば毛布をはだけて、うんと仰け反った彼女の胸の上に、得体の知れない怪物が鎮座していたのだ。

 大きさは人間の赤ん坊くらい。尖った耳。落ちくぼんだ眼窩。陰々と、赤く光る目。剥き出しの鼻孔。その下で、ものすごい笑みを浮べる口からは、白い二本の牙がにゅっと飛び出していた。ミイラ化した両棲類のような皮膚は、ぬめぬめと粘液に覆われた緑色だ。いちいちトリベノの挙げた特徴と一致する。退化猿人に間違いない。

 膝を抱えるような姿勢でうずくまったまま、化け物は再び、ククッと鳴いた。いや、笑ったというべきか。こんなにも「黒い」笑みが存在するのかと思うほど、化け物の声は暗く、牙を剥いた顔はあまりにも陰惨である。

 撃つべきか撃たざるべきか。

 むろんこの距離からなら、M36でも、抜き撃ちに頭を吹き飛ばす自信はある。一刻も早く殺すべき相手だということは、本能が理解している。ただし、こいつのスキルがわからない。スキルという語は不適切かもしれないが、新種のワームや未確認IBは突然変異によって、次々と新たな身体機能を身につけてゆく。まるでスキルアップするように。

 つまり頭を吹き飛ばしたところで、それがいわゆる本当に「頭」なのかどうか、経験によるデータがない以上、わからないということだ。事実、頭部がまるごと別個の寄生虫というワームが存在する。

 寄生虫は感覚機能を請け負うかわりに、本体から栄養をもらっている。もしも頭部、すなわち寄生虫が損なわれても、別の虫とすげ替えればよいわけで、余裕があれば、二つ、三つと「予備」を飼うことだってできる。ほとんど悪夢に等しい生態だが、ワットの言いぐさを借用すれば、何が起きても不思議ではないのが、現代世界だ。

 もしも何らかの理由で、やつが頭部を撃ち抜かれても死ななければ、次の瞬間、マキの心臓がえぐられる恐れがある。現に、彼女の乳房をつかんでいる化け物の指先には、太く鋭い爪が見え隠れしている。どうやら伸縮自在らしく、伸ばせば一本一本が軍用ナイフなみの兇器と化すだろう。

「やはり来おったか」

「なに?」

「あの娘が、そこまで大きな闇を抱えておったとはな。なに、いかにも夢見の悪そうな、お前さんが寝ずの番についたもんでな。やり過ごせるかとも考えたが、やはり人間が三人も集まっておればなあ。静かに寝かせてはくれなんだ」

 見れば爺さんは依然として被皮ワーム、通称モンタムシのように毛布にくるまったまま、もごもごと口だけを動かしている。けれど、寝言にして筋が通りすぎている、というより、寝言だと考えるほうがナンセンスである。おれは唇だけわずかに動かし、小声で尋ねた。

「どうすればいい?」

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