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しばらく思案しているさまが、仮面の下にうかがえた。身動きしないまま、視線がすっと外されたのがわかった。沈黙を数えてから、おれは語を継いだ。
「おれがここで嗅ぎまわっている限り、マキに累が及ぶのは確実だ。一緒にいるところを掃討車に見られちまったからな。本体を破壊したところで、データはとっくに送られている。かくなる上は、おれの寝首を掻いて、いかにも監視カメラに映りそうな所に置いてくれば、少なくとも仲間だという誤解は解けるだろう」
視線が戻され、溜め息まじりの笑い声が、鉄の仮面からこぼれた。
「兵法の初歩的な引っかけ問題みたい。わたし、そこまでばかじゃないわよ。かくなる上は、あなたを生かしておいて、利用したほうが有利に決まっている。首を置いてくるなんて、自殺行為もいいところだわ」
「よれよれのガンスリンガーに、利用価値なんてあるかな」
「エイジが追っている連中は、わたしが探している者たちと、少なくとも、とても近い可能性がある。それに」
髪を掻き上げた。それが緋色ではなく、現在は明るい金色に染められていることを、今さら認識した。甘い香りが漂い、彼女の人さし指が、鼻先に突きつけられた。
「寝顔があまりにも間抜けだったから。殺すに忍びなかったの」
口の端を歪めつつ、毛布の上にあぐらをかいた。部屋の広さは十スペースほどか。ほぼ立方体で、家具らしいものは何もない。奥にキッチンがあり、形ばかりのシャワールームまで確認したときは、奇跡を見る思いがした。
「水が出るのか」
「何はなくとも、水だけは確保しておくのが基本でしょう。籠城にせよ潜伏にせよ」
おれは肩をすくめた。こんな場所を用意していたくらいだ。カノウ氏は考えていた以上に、ヤバイ立場にあったとおぼしい。そんなおれの思惑を見抜いたように、マキがつぶやく。
「お父さんね、きっと見てはいけないものを見たんだと思う」
「見てはいけないもの?」
オウム返しに尋ねると、マキはうなずいた。真剣な表情が想像された。そういえば、最初、おれに向かって彼女はこう言った。ここはあなたが来てはいけないところだと。
「つまり、合成麻薬の製造工場を突き止めたということか」
電気工事の技師は、配線を伝って、迷路のような「幽霊船」の至る所に入り込む。裏口や抜け穴や、忘れ去られた通路を知っている。人類刷新会議のエージェントたちが、どうしても発見できなかった証拠を。禁じられた合成麻薬の工場を、偶然発見する可能性はありすぎるほどだろう。
が、おれの言葉にマキは首を振った。仮面の縁からあふれる金色の髪が、さらさらと揺れた。
「襲撃される、ちょうど一週間前よ。いつもより遅く仕事から帰ったあと、お父さんの様子が変だったの。食事にほとんど手をつけないし、大好きなお酒も、ほんのひと口飲んだだけ。ぼんやりしているかと思えば、何でもない音に驚いて飛び上がったり。わたしたちが理由を尋ねても、口をつぐむばかり。今思えば、何があっても話すわけにはいかなかったのね」
次の日から、カノウ氏は病気と称して仕事を全て断った。けれど、一時もじっとしておらず、行き先を告げずに出かけては、戻ることを繰り返した。この「最後の隠れ家」にも、たびたび出入りしていることをマキは察知した。通路や隠れ家を修理・補強して、食料や武器を運びこんでいるらしいのだ。
氏が「幽霊船」からしばらく出ることを提案した次の日に、カノウ夫妻は大量の血を残して消滅した。つらければ答えなくてもいいが、と断った上で、おれは尋ねた。
「カノウ氏は、その『見てはいけないもの』に関して、何か手がかりになるようなことを言ったのか」
「積極的には、何も。ただ、夜ごとひどくうなされてね。うわ言の中に、一定の単語が混じることに気づいたの」
「何と?」
彼女は少し上を向いて、球根。と、つぶやいた。おれは思わず叫んだ。
「まさか……!」
「わかるのね。エイジ、わたしはその意味を調べるために、ずいぶん回り道をしたわ。球根。これだけでは、あまりにも曖昧で、それこそ雲をつかむようだったから。だいいち、一介の電気技師の娘なんかに、そう簡単にわかる筈もなかった。これが、イミテーションボディに関わる重大な単語だなんて」
球根……すなわち、「バルブ」だ。
しかしそんなことはあり得ない。この「幽霊船」の中にイミテーションボディの原型が……バルブが持ち込まれているなんて、考えるだけでナンセンスだ。狂気の沙汰だ。そもそもバルブの存在そのものが、伝説と未分化なものではなかったか。狂った夢の象徴に過ぎないのではないか。