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42(2)

 この抜け穴がどこに通じてるのか、おれは知らない。よほどの緊急事態でない限り、使用すべきでないようなことを、カノウ氏が言っていたかと記憶する。おれがマキにそうしたように、おそらく襲撃を受けたとき、カノウ氏は夫人の手を引いて、ここに飛び込みたかったのだろう。

 だが、「襲撃者」はそれを許さなかった。

 落下する速度は、みょうに緩慢に感じられた。ときおり、マキの鉄仮面が壁に擦れて、緑色の火花を放った。すでにまったくの闇に包まれて、自分が目を開けているかどうかさえ、心もとない。トンネルが微妙に曲がりくねっているせいで、速度は一定に保たれているが、これほど長い間落ちて行った先に何があるのか、考える気はとっくに失せていた。

 ロング・アンド・ワインディング・ロードを、たっぷり一曲ぶん聴き終える頃、不意に中空へ放り出された。

 マキの体をしっかり抱いたまま、背中から落下した。もし真下で剥き出しの鉄骨が穂先を揃えていたら、串刺し人間の奇怪なオブジェができあがるだろう。けれど、悪運の強さは相変わらずで、落下したのは細かく粉砕された瓦礫の山だった。

「きゃっ!」

 意外に娘らしい悲鳴を聞くと同時に、彼女の全体重がおれを圧した。おそらく薄笑いを浮かべたまま、意識がぐんと遠のいた。

「エイジ……エイジ」

 闇の向こうから、だれかが呼んでいた。少しハスキーな、耳をくすぐるような声。からからに乾いた、こちらはおそらくおれ自身の声が、間抜けな返事をしていた。

「ああ」

「生きているんならいいけど。痛む?」

「骨がばらばらになったみたいだ。だが、それこそ生きているアカシだからなあ」

 薄目を開けた。にぶい光を放つ、鉄仮面が覗きこんでいた。硬い床に直接敷いたマットの上に、寝かされているらしい。黴のにおいのする、薄っぺらな毛布がかけられていた。

「撃たれては、いないみたいだけど」

「あたりまえだ。目をつぶってマシンガンをぶっ放したって、そうそう当たるもんじゃない。マキは?」

「だいじょうぶ」

 ぶーん、という重低音に混じって、かすかな震動が背に伝わる。どこからか、しきりに水の滴る音が聞こえる。

 ゆっくりと半身を起こすと、全身の関節がきりきりと軋んだ。唸りつつ、辺りを見まわす。赤錆びた鉄板に囲まれた、箱のような部屋だ。無数の、得体の知れない配管が、壁をうねうねと這い、天井から電灯がひとつ、ぶら下がっている。ブリキの傘の下から、弱いオレンジ色の光を投げかけているのは、ダイオードではなく、白熱球らしい。

「ここは?」

 答える前に、マキに水差しを手渡された。急に渇きを覚えて、むさぼるように飲んだ。鉄の味がしたが、不純物も少なく、充分飲めるレベル。むろん、水筒を持参する余裕はなかったので、ここで調達したものだろう。彼女は言う。

「見てのとおりよ。お父さんが用意してくれていたの。わたしも実際に来るのは初めてだけど。ダストシュートに飛び込んだ時は、ここに隠れるよう、教えられていたから」

「地球を突き抜けちまうくらい、落下した気がするが」

「幽霊船の基部にあたるわ。人間が生きていられる、ぎりぎりのラインかしら」

「これ以上潜ると、どうなる?」

「レッドゾーンの汚染地帯に匹敵する環境に突入する。あと一メートル、コンクリートに穴を開ければ、そこは地獄よ」

 ポケットをまさぐり、すっかり潰れた煙草の箱を取り出した。火をつけていいか、目顔で尋ねると、マキはうなずいた。電灯がついているくらいだから、問題ないとは思うが、変なガスが充満していては、ミもフタもない。おれは煙を吐いた。例えここが地獄でも、こいつさえあれば、何とかやっていけそうな気がした。

「幽霊船」の最下部は、巨大な動力室になっていると聞いた覚えがある。ここが要塞だった頃の名残で、むろん今では機能しておらず、地下水に浸されているとか。水の中には未確認のIBが、うようよと泳いでいるとか。そんな環境が、おれが横たわっている、ほんの百センチ下に芒洋と広がっているのだ。

 そう考えると、さすがに体が震えた。

「寒い?」

「いや、汗をかくほどだよ。まあ、地獄の窯の上にあるんだから、蒸されるのは当然か」

 マキは肩をすくめた。おれはつぶやいた。

「なあ、マキ。気を失っている間に、なぜおれを始末しなかった?」

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