表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/270

41(3)

 記憶の底から、マキの姿を引っ張り出そうとこころみる。真っ赤に染めたセミロング。肌がきめ細かで色が白く、それだけにそばかすが痛々しかったが、本人はまったく気にしない様子。スカートを穿いたところなど見たことがなく、いつもざっくりとジーンズを着こなしていた。

 ピアス狂で、鼻梁その他、意想外なところにくっつけては、おれを驚かせた。瞳に入れようという計画は、さすがに友達に阻止されたと言って笑った。もし生きているならば、現在は二十四か五だ。話を聞いた限り、その可能性は少なそうだが。

(ピアスはセックスの象徴なんだって。香川先生が言ってたけど、でもぜったい別モノだとわたしは思うよ。だって直接触られるより、ピアスをちょっと舐められたほうが感じるんだもの。だからわたしは、セックスよりもキスが好きだし、キスよりピアスを舐められるのほうが好き)

 机の引き出しに手をかけた。写真でも入っていないかと考えて。一番上の引き出しは、けれど指の力に抗して開かなかった。鍵がかかっているのだろうか。いや、おれの知っているマキならばかけないと考え直し、一度下へスライドさせてから引いてみた。抵抗がなくなり、引き出しはすんなりと開いた。ずいぶん軽く感じられた。

(ねえ記者さん、こういうの、変態っていうのかな)

 そこには一冊の日記帳が、ぽつんとおさまっていた。市販されている少女趣味的なもので、クマのぬいぐるみのイラストが、ピンクの表紙に描かれていた。少なくとも、おれがいた頃は、彼女が日記をつけている姿など見たことがない。もっともこういうものは、おおっぴらに人前では開かないのだろうけれど。

 手にしてみると、意外に厚手で、重かった。多少の罪悪感を覚えながらも、当てずっぽうに項を開いてみた。下の文字がまったく読めないほど、紙が血に染まっていた。眉をひそめ、さらにめくったが、どの項も同じように血染めだった。かなり時間がたっているらしく、茶色に変色し、すっかり乾ききっていた。けれど部分的には、鮮血の赤さを生々しく保っていた。

 背後に恐ろしい気配を感じた。

 気配とは電流のようなものだ。受信した直後に動かなければ、まずやられている。おれは振り向きざま、閉じた日記帳を盾にした。痺れるような衝撃が指に伝わり、止んだ。幸運だった。日記帳の表紙には、刃渡り二十センチはありそうなナイフが、垂直に突き立っていた。

 第二波が来る様子はなかった。ポケットのM36に指を添えたまま、ダイニングに通じる入り口を注視した。ほっそりとした人影が、くぐもった、けれど魅力的な声を発した。

「抜かないの?」

「おれは強盗じゃないんでね」

 軽い溜め息が聞こえた。薄闇の中で、ほぅ、とうつろに谺をかえした。

「あんたよそ者だね。イーズラックでもなさそうだけど。船の人間なら、まずこの家の敷居はまたげない。連中は案外、迷信深いからね」

 船とはもちろん「幽霊船」を指す。イーズラックと言うときだけ、吐き捨てるような語調になった。薄手のコートにジーンズ。フルフェイスのヘルメットのようなものをかぶり、豊かな髪が、そこから背中にあふれている。

「幽霊が出るというのかい。気の毒な夫婦の」

「あんた、何者?」

 闇を震わせて、驚きが伝わる。暗がりから、一歩、彼女は歩み出た。ダイオードのランタンにその頭部が照らされたとき、おれは覚えず息を呑んだ。それはヘルメットというより、ジュラルミン製の仮面だった。中世の西洋兜をいやでも想起する形状で、無数のリベットが打たれていた。

 目の前に立つ女がマキであることは、わかりきっていた。たしかに声はぐっとハスキーになり、かつ落ち着いているし、引きしまった体の線からも、当時の少女らしさは失われている。異様な仮面の効果もあいまって、全身からかもされる雰囲気は、あくまで厳しい。が、それでも七年前のお転婆娘の面影は、ぬぐいようがなかった。

 おれは黙っていた。彼女が思い出せないのなら、それでもいい。むしろそのほうがいい気がした。思い出すことで七年前の、おそらく彼女が最も幸福だった頃の記憶を呼び覚ませば、彼女は傷つくだろう。優しい記憶はたちまち氷のナイフと化して、心臓を貫くだろう……けれども彼女は気づいたらしい。

「記者さん?」

 異様な仮面から、思いがけず、あどけない声が洩れた。

 初めから嘘だと気づいていたと思うが、一家はおれの滞在中、記者ということにしてくれていた。素性に関しては何も訊かれなかった。利発なマキは、おれが傭兵だったことを何となく見抜いていたようだ。それでも記者さんと呼んでは、いたずらっぽく微笑んだりした。

「今はしがない何でも屋だよ。もっとも、記事なんて一度も書いたことはないけどね」

 道化のように両手をあげてみせた。彼女の肩から力が抜けるのがわかった。ひさしぶりだね、マキ。そう口にしようとしたとき、彼女の全身に殺気がみなぎり、腰を落として身構えた。指の部分だけ切り抜かれた革の手袋。そこに握られたナイフが、まがまがしい光をおびた。

「出て行って。今もそう名のっているかどうか知らないけど、エイジ。ここはあなたが来てはいけないところ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ