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カノウさんの家は、すぐに見つかった。
家、といっても、むろん一般的な一軒家とは異なる。家が家として独立しているのは、「幽霊船」の中ではシャングリ・ラだけなのだから。かといって、マンションやアパートのように、整然と部屋が並んでいるわけでもない。家屋のレリーフ、とでも呼ぶべきか。コンクリートの壁面に半分浮き彫りにされた住居が、何の法則性もなく連なっているのだ。
カノウ電気工事店と書かれた看板も健在だった。入り口の前に、ごちゃごちゃと資材が積み上げられているところも、昔のまま。とくに破損している様子はないが、ただ、家庭の存在感が決定的に欠けていた。
おれは頭陀袋を、どさりと降ろし、ドアに手をかけた。まったく予期に反して、取っ手を回すと金具が外れる手ごたえがあった。
(さっそくこれだよ)
眉をひそめた。別人が堂々と移り住んでいるのであれば、看板をそのままにしておく筈がない。浮浪者か、あるいはもっと面倒なヤカラが住みついている可能性が高い。反射的に辺りを見わたすと、隣近所は鳴りをひそめたまま。常夜灯の照らす範囲内に、人影はまったくない。おれはジーンズのポケットから、M36を音もなく抜いた。
ドアを通り抜けた。落ちていた木片を引っかけて、外の明かりを入れるため、細めに開いたままにしておいた。饐えたような、空家特有のにおいが鼻をつく。両側は作りつけの棚で、工具類がぎっしりと詰めこまれていた。どれも厚い埃をかぶっており、一度も触れられなかった歳月の長さがしのばれた。
二つめのドアは中途半端に開いていた。かすかに、中から蒼い灯りが洩れてくることに気づき、一驚した。
ガンスリンガーに最も不必要なものは想像力である。起こりうる現実的な可能性を最小限に予測する以外、これを使ってはならない。撃つ相手の立場を一瞬でも想像すれば、こちらが撃たれる。そうしてよくこの仕事を続けてこられたものだと我ながら感心するくらい、おれの想像力は過剰だ。
おれはカノウさん夫婦の亡霊を想像した。それこそプラズマの亡霊のように蒼く光りながら、日常生活を営んでいるところを。死んだことにすら気づいておらず、おれが入って行けば、血まみれの笑顔で出迎えてくれるのではあるまいか……
首をふった。ここの淀んだ空気の中には、妄想の種子がうようよしている。
ドアの後ろに張りついて、中を覗きこんだ。タイル貼りのダイニング。楕円形のテーブルを、空の椅子が三つ囲んでいる。テーブルの上には、ティーカップとポットが、今にもお茶を始められるように整然と並んでいる。よく磨かれた磁器の光沢がおれの目を射る。
工具と異なり、明らかにごく最近、何者かによって磨かれたものだ。部屋の眺めはむかしと変わらぬまま、掃除がゆきとどき、整頓されている。カノウ夫人の飾らない几帳面さが、隅々まであらわれた恰好である。が、しかしランボー氏の話では、家の中はめちゃくちゃに破壊されていたのではなかったか。そのうえ血の海だったというではないか。
蒼い光は隣室から、磨りガラスを通して洩れてくる様子。ドアの隙間からダイニングに入ると、覚えず身震いするほどの寒気にみまわれた。こころなしか、血のにおいがした。隣室からもの音は全く聞こえず、ガラスに映る者の影もない。三つ数えてから、おれはガラス戸を引き明け、膝をついて銃を構えた。
八スペースほどの、部屋の中は無人だった。
(やれやれ)
銃をポケットに仕舞い、立ち上がって眺めた。色あせた壁紙。旧式のテレヴィジョンに円卓。染みだらけの天井からぶら下がった電灯はともっておらず、光源は隅のスチールデスクの上に置かれた、ダイオードのランタンである。これはイオン電池式なので、家の電気そのものは止まっているのか、あるいは故意に使用していないのだろう。
スチールデスクに近寄り、片手をついた。ここにも埃は積もっていなかった。大人が座るにはやや小ぶりなのは、娘のマキが幼い頃から勉強用に使っていたものだから。机の本棚には、童話から幾何学の本まで、無秩序に並んでいた。母親と異なる、マキの性格をあらわす光景で、七年前とまったく変わっていなかった。
おれは身震いした。ランボー氏が嘘をつく理由はない。また茨城麗子が指名したほどのガイドが、誤情報をもたらしたとも思えない。惨劇はここで確かに行われたのだ。夫婦が惨殺され、死体は消えた。かれらがまだ生きて、ここで生活しているなんてことは、まず絶対にあり得ない。
犯人はついにわからなかったという。無法者たちの集団は、ある意味、一般人よりも秩序を重んじる。自分たちのテリトリーのど真中で、愛すべき夫婦がこれほど派手に殺されたとあっては、周囲が黙ってはいない。けれど、血眼の捜査にもかかわらず、犯人はおろか、死体さえ発見されなかった。
必然的に、イーズラック人の犯行ということで周囲の意見は一致した。動機がまったく不明であるにかかわらず、かれら以外に考えようがなかった。善良な夫婦が個人的な恨みを買う筈はなかったが、職業上、何らかのトラブルに巻きこまれたのであろうと予想された。
犯行にはワームが使われたという噂である。あくまで噂だが、かれらが第二種以上のワームを「飼い慣らしている」のだと、まことしやかに囁かれていた。想像するだにおぞましい話だが、ゆえに死体が見つからなかったというのだ。なるほどここは、イーズラック人とワームの巣窟である、東の閉鎖ブロックにほど近い。
娘のマキはショックのあまり気を失い、医者のもとへ運ばれた。しばらくは命も危ぶまれるほど、精神が錯乱していたという。どうにかベッドを離れられるようになる頃、忽然と消えた。今も彼女の行方は杳として知れないのだ。