40(1)
40
七年ぶりに見る「幽霊船」の外観は、驚くほど変わっていなかった。
「さて。鬼が出るか、蛇が出るか」
我ながら古くさい言い回しだ。鬼や大蛇なんて、IBや多脚ワームに比べれば、ペットみたいなもの。けれども、この世で最も恐ろしいものは何かと問えば、それらを生み出した人間であると、誰もが口を揃えるだろう。そして今回の相手は麻薬密売組織……まさに、人間なのだった。
錆の臭いのする風が吹いていた。乱れる髪を気にしながら、茨城麗子が言う。
「お渡しした見取り図の精度は、七十パーセント程度です。けれどこういった場所は、案外変化に乏しいので、七年前に潜入された時の感覚が通用するかと存じますわ」
郊外もここまで来ると、空気がとても汚れている。さすがに彼女も防酸コートを着ているので、ステキなおっぱいを拝むことができない。もしもあの時寝ていたら、という浅ましい未練が、むくむくと頭をもたげそうになる。
「カンのほうが当てになるというわけだ。せいぜい、鼻をひくつかせることにするよ」
「お話ししましたとおり、C5番の入り口で情報屋が待っています。コードネームは、『アルチュール・ランボー』。合言葉を兼ねていますので、くれぐれもお忘れなく」
「覚えた覚えた。アル中の乱暴者とは、おれみたいなやつだ」
麗子は、くすりと肩をすくめた。ずっと顔を引きつらせていた、本日初めて見せる笑顔だった。それを恥じるかのように、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ございません。わたしの不注意で、危険に巻き込んでしまって」
「なに、とっくに巻き込まれていたさ。あの子を引き取った時点でね。きみのせいじゃない」
煙草を口の端にくわえ、火をつけずに彼女と向き合った。書類入れを胸に抱いたまま、茨城麗子はまっすぐにおれを見上げた。その目は、心なしか潤んでいるように見えたが、酸をおびた空気のせいだろうと解釈した。
「ご武運を」
片手を上げて応え、車に乗り込んだ。ポンコツのエンジンを始動させ、我慢していた煙草に火をつけた。フロントガラスの中には、一枚の絵のように、不気味な「幽霊船」の全景が嵌めこまれていた。煙を吐きながら、おれはつぶやいた。
「やれやれ」
どこかの新聞記者が「幽霊船」を評して、ガウディふうだと書いていた。ガウディが何かは知らないが、もし建築家だとしたら、よほどの変人に違いあるまい。用途不明な細長い塔が、高々と何本も突き出し、無数の風車が取り付けられていた。下部は建て増しに建て増しが繰り返されたコンクリートの丘で、大小無数の窓が、ごちゃごちゃと覗いていた。
都市地区と汚染地帯を隔てるフェンスが、ぎりぎりまでせまっているが、塔の高さは超えていない。パラシュートを背負ってひょいと飛べば、すぐに汚染地帯に降りられるだろう。もっとも、IBどものうろつく領域を、好きこのんで散歩したがる者がいればの話だが。
辺りは何十年も舗装されていないので、砂塵がひどい。発車させると、バックミラーの中の麗子の姿は、夢のように掻き消された。「幽霊船」の周囲は茶色い荒地で、ぽつぽつと建っている家も、七年前と変わらず廃屋ばかり。道なき道を突っ切って、おおよそ見当をつけておいた場所に乗りつけるのに、二分とはかからなかった。
車を降りて、ずだ袋を肩にさげた。真下から見上げると、もはや「船」の面影はなく、ただのスクラップの塊である。塀やバリケードの類いがないのも昔のまま。コンクリートの壁面に無造作に開けられた穴が入り口となる。出口があるかどうかは別として……C5番はすぐに見つかった。
「アルチュール・ランボー」
「お待ちしておりました」
まだ暗がりに目が慣れないうちに、声が返ってきた。アル中かどうかは知る由もないが、美少年ではなさそうだ。
狭くてカビくさい、コンクリートの通路。奥から洩れるかすかな灯りを背に、ランボー氏は、ひょいと身をかがめてお辞儀をした。よれよれのスーツを着た痩身の中年男。やはりよれよれの中折れ帽をかぶり、顎ヒゲをたくわえたところは、情報屋を漫画に描いて切り抜いたようである。
茨城麗子によれば、ランボー氏のように、ガイド役を買って出る情報屋が、「幽霊船」の中にはけっこう住んでいるらしい。かつて単身、飛び込んだ時には存在すら知らなかったが。麗子が選んだからには、間違いなくかれは有能なのだろう。が、しかし、
「余計なお世話だとは思うが、その……だいじょうぶなのかい」
おれの思惑を瞬時に察したらしく、ランボー氏はちょっと帽子を持ち上げた。唾から覗いた片目が、針のように鋭い光をおびた。