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 放課後になった。

 全校集会が早く終わったため、バイトへ行くにはまだ間がある。久しぶりに「千里眼」を訪ねてみてもよいだろうと、八幡二葉は考えた。

 校舎は煉瓦づくりで時計塔があり、ツタの葉が絡みついていた。ツタといっても、紅葉して冬には枯れてしまう、従来のツタとは別種で、常に青々と葉を茂らせ、寒くなっても旺盛な成長を続けた。今では学校の悩みの種で、根もとを切断されても枯れず、煉瓦の隙間に食い入って、いずれは校舎をばらばらにするのではないかと危ぶまれた。

 屋上には天体望遠鏡のドームがあった。ここもツタに蹂躙され、とっくの昔に開閉できなくなったまま、うち捨てられていた。「千里眼」はドームの中に住みついていた。

「やあ、そろそろ来る頃じゃないかと思っていたよ」

 スプリングの飛び出た黒い回転椅子に身をしずめ、足を組んだ姿勢で、かれは左手を上げた。女のように細い手首に、ばかでかい腕時計を三つも巻きつけていた。

 千里眼が何歳くらいなのか、二葉にはわからない。同い年くらいにも見えるし、中年を過ぎていると言われても信じたろう。なにしろゴーグル状の眼鏡と、巨大なヘッドホンで顔の半分が隠れているため、年齢はおろか、人間かどうかさえ定かでない。趣味のよくないチャペックではないかと、たまに思うくらいである。

 ヘッドホンからはみ出した蓬髪。サスペンダーで吊った、ぶかぶかの黒いコーデュロイのズボン。冬でも上着を着ず、白いシャツの袖を無造作に腕まくりしている。ヒゲはなく、卵のようにつるりとした顎。大きな頭に比べて、小石を投げればポキリと折れてしまいそうな、異様に華奢な体形は、デフォルメされたマリオネットをおもわせた。

「お茶は出ないのかしら」

「ためしに押してごらんよ」

 かれは指さした。所狭しと並べられたガラクタの中に、自動販売機が埋もれていた。見本には、とっくに製造中止になった銘柄が並んでいた。二葉は眉をひそめ、ボタンを押した。ゴトンと音がして、割れたカバーの間から缶が勢いよく飛び出した。持ち前の運動神経を発揮して、彼女はあやうく受け止めた。

「あっ、つー」

 お手玉させたあげく、プルタブを引いた。レモンティーの甘い匂いがした。味もまあまあだ。

 ドームがいつ閉鎖されたのかわからないが、ガラクタ置き場と化して久しいらしく、テレビジョンからチャペックまで、彼女の兄たちが見たら涎を垂らしそうな、年代ものの機械が積み上げられていた。見上げればドームの天井を覆うほど、様々なアンテナが吊るされていた。

 機械どうしはコードでつなげられ、最終的には二本のコードに集約されていた。一方はアンテナに。もう一方はかれのヘッドホンに接続されているのだった。ヘッドホンはゴーグル状の眼鏡と一体化されているらしく、要するに、無数のアンテナが拾ってくる電波が、かれの視聴覚に絶えず流れ込んでくる仕組みだ。

 これでよく他人と会話できるものだと、二葉は感心する。

 千里眼がドームに住みついたのは、政権交代直後だ。それまでは、こんな所を訪れるのは彼女くらいしかいなかった。初対面していきなり、かれは彼女の名前を言い当てた。のみならず、家族構成や略歴からスリーサイズまで、ほぼ言い当てた。バストを一センチだけ多く言われたことが彼女の気に入った。

 もし少なかったら、この変態野郎と叫びながら、迷わずカカト落しをお見舞いしていただろう。今にして思えば、そこまで見透かされていたわけである。

(そいつはたぶん「千里眼」だろう。情報屋としての腕前は、スキャナー以上と言われているが、なにしろめったに仕事をしないやつでね)

 特徴を話すと、兄たちはそう口を揃えた。かれらによれば、べつに女の子が目当てで女子高に住みついたわけではないらしい。新政権の追求を逃れて来たのだ。なるほどこの中なら超小型偵察機「ソフトボール」も入り込めない。隣の男子校では、トイレの中でも頻繁に見かけるらしいが。おちおち煙草も吸えないぜと、イシカワはぼやいていたっけ。

 かれがどうやって生活しているのか、ひとつの謎である。ごく少数の顧客がいるのではないかと、兄たちは推測している。たしかに、食うにこまっているようには見えないが、ドームの中で客らしい人物と出くわしたことはない。いつもかれは黒い回転椅子の中にうずくまり、独り、得体の知れない電波を視聴していた。

「ときにきみは恋をしているね?」

「相手はどんな人かしら」

「ぱっとしない男さ。だがきみは、その男の目つきに惹かれている。どこを見ているのかわからない、ふらふらと不安定な目つきだ。麻薬中毒者にありがちだが、そいつはキメているわけじゃない。なぜだかきみは、悲しそうな目だと考えてしまう。そう考えるたびに、きみの胸の奥が不可解なうずきかたをする。ちなみに一センチ増えたね」

「余計なお世話」

 彼女は頬をふくらませ、手ごろなガラクタに腰かけた。金庫か小型冷蔵庫のような箱型の廃品は、ひんやりとするお尻の下で、ぶーんと微弱な震動を伝えた。

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