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 二十日以上も仕事がなければ、いいかげん、体もなまる。

「作業服にキノコが生えちまいそうだ」

 ワットの野郎を怒鳴りつけてやったが、やつは電話の向こうで、ふふんと鼻を鳴らしやがった。

「それでしばらく、食事にはこまらないでしょう」

「おれに毒キノコを食えと?」

「毒とは限りませんよ。もうちょっとポジティブに考えてほしいですね。なんでしたら、刷新会議の端末から、『食べられるキノコリスト』を取り寄せて差し上げましょうか」

 うっかり第四種の害虫を素手でつかんだように、おれは顔をしかめた。昨今流行りのポジティブ思考というやつが、多脚ワームの次に嫌いなのだ。おれが黙っているのをいいことに、ワットの野郎は、ツァラトゥストラ教の聖歌隊みたいなボーイソプラノで、ころころとまくしたてた。

「ぼくなら、家事用のチャペックを新調することをお勧めしますね、エイジさん。作業服がピカピカになった上、美味しいキノコ料理にもありつける。明日も自宅待機になりますから、ちょうどよかった。払い下げのマーケットでも覗いてみては?」

 おれは無言で受話器を叩きつけた。ちん、と間抜けな音をたてて、そいつは黒ずんだダイヤルの上で沈黙した。本当は線を引きちぎって、十一階の窓から放り投げてやりたいのだが、これを繋げるまでの苦労を考えれば、気勢をそがれる。処理班にいた頃は、自分用の端末さえ所有していたというのに。

「くそっ、何が刷新会議だ」

 かわりに壁を蹴りつけると、ぐわんと虚ろな音をたて、足の指がぴりぴり痛んだ。

 半年前に、人類刷新会議がこの地区を制圧してからというもの、たしかに治安はよくなったが、おれの仕事はめっきり減った。やつらは世のため人のためと称して、その日暮らしの貧乏人から、せっせと仕事を取り上げるばかり。

 おれが所属する竹本商事は、いわゆる「なんでも屋」だ。社長はさっきの電話のくそガキで、竹本ワット十一歳。本来なら、ランドセルを背負ってお手々つないで学校へ行くべきところ。去年、親父を亡くして以来、事務所の奥にふんぞり返って、おれたちしがない労働者を鼻であしらう日々である。

 なんでも屋である以上、依頼を受ければ何でもするが、かかってくる電話の九十パーセントは、害虫駆除の依頼だ。おれに回されるのは、駆除の中でも最も危険な仕事ばかり。第四種はあたりまえ。基本的には、第三種以上の害虫を扱うことになる。

 第三種以上のレベルになると、多くの確率でイミテーション・ボディの遺伝子が混入している。まったくもって、危険きわまりない。

「くそっ、ワットの野郎。日ごろ一番アブナイ仕事を押しつけておいて、依頼が減ればおれをまっ先に干しやがるとは、理不尽な」

 おれはずかずかとキッチンへ踏み込み、乱暴に冷蔵庫を開けた。一本だけ残っていた合成ビールの缶を開け、半分ほどひと息に飲みほした。停電続きでろくに冷えておらず、接着ゴムの臭いが鼻を刺激した。が、少しばかり、頭を冷やすには役だった。

(大のおとなが、十一歳の洟垂れを相手に本気になって……)

 床に転がっているチャペックが目に入った。一見、隣の冷蔵庫と似たり寄ったりだが、万能という名の不便なマニピュレーターがついており、一応二足歩行もできていた。第二次百年戦争前までは、この種の機械はロボットと称されていたらしく、変態博士の相崎氏は、いまだにその古風な呼び名を用いていたっけ。

 たしかに、二週間前にこいつが沈黙してからというもの、おれの部屋は確実に臭うようになった。外から帰ってきたときなど、一瞬、本気で鼻が曲がるくらい。この芸を極めれば、路上で小銭を稼げそうだが、キノコが生える以前に、多脚ワームの巣にされてはかなわない。

「八幡商店に、掘り出し物があるかもしれないな」

 どうせ明日も休みである。曲芸的な技で、空き缶を満杯のゴミ箱の上に載せると、おれは居間に戻り、外套を引っ掛けた。机の上からM36を取り上げ、シリンダーを抜いて、五発の弾が装填してあることを確かめた。ジーンズのポケットに突っ込んだままコサックダンスを踊っても、ミニリボルバーは暴発しないのが取り柄だ。

 防腐靴を履いて部屋を出ると、吹き抜けの天井から、まだうっすらと明かりがさしていた。常夜灯はとっくに全滅しているので、まずはありがたい。近ごろでは、こんな雇用促進住宅の回廊にまで、蠕動ワームQ5型、俗名ゴクツブシがうろつくようになっていた。

 ゴクツブシは基本的に無害だが、うっかり踏んづけると、バケツ一杯ぶんの体液を吐き出すから厄介だ。まともに浴びれば、確実に三週間は腐ったトマトの臭いが消えず、さらに一月の間、イタリア料理が食えなくなるだろう。

 エレベーターは動いてはいるものの、完全に制御不能。こんな地獄の遊具になんか乗りたくないので、階段をとぼとぼ降りるしかない。七階から下は封鎖されており、回廊への入り口は、ぶ厚い鉄板で塞がれていた。鉄板の向こうにどんなものが棲みついているのか、あまり考えたくなかった。

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