残り2日 キスまで、あと一歩。(多分)
翌朝、目が覚めた瞬間、思った。
(……やばい)
何が、とは言えない。
でも、胸の中が変に静かで、逆に落ち着かなかった。
昨日、陽翔に抱きしめられた感覚。
背中に回された腕の重さ。
耳元で聞こえた声。
思い出そうとしてないのに、勝手に再生される。
しかも、都合よく一番心臓に悪いところだけ。
(……後半捕まる言い訳、探してたよな、俺)
ベッドの上で天井を見つめながら、自分の思考にちょっと引いた。
昨日までは、
「逃げる理由」を探してたはずなのに。
いつの間にか、
「捕まってもいい理由」を考えてる。
……なにそれ。意味わかんない。
制服に着替えて、家を出る。
空気は冷たいのに、胸の内側だけなんだか熱い。
学校までの道で、
「今日は普通にしよう」って、また考えた。
目を合わせすぎない。
距離を詰めすぎない。
変なこと言われても、流す。
(うん、いける。今日はいけそう)
そう思って校門をくぐった、その瞬間。
廊下の向こうから声がした。
光の中から現れる、ってこういうの言うんだろうな。
制服の白シャツが反射して、見てるだけで目が痛い。
「おりー」
(ほら来た。)
「今日、朝からテンション高いな」
「いつもだって」
「違う。昨日より3割増し」
「織の観測データに異議あり」
「うるせー観測対象」
「ふふっ」
「笑うな!」
(はぁ……もう慣れるしかないのか、これ。)
◇◇
1時間目が終わって、教室でプリントを回してたとき。
前の席の女子が言った。
「ねぇ福山くん、
もう引っ越し準備中なんでしょ?」
「え、あー……うん、まぁ」
「そっか、寂しくなるね」
「あはは、まぁ……そだね」
「朝日くん、絶対寂しがるよね」
(きたよ、地雷ワード!)
こういう何気ない言葉が、
あいつの中では全部“地雷”になるんだろうな。
それを分かってて笑う自分も、たぶん悪いんだろうけど。
「福山くんがいなくなったら、朝日くん、生きてけないんじゃない?」
「いや、生きてけるわ!」
「ふふ、どうだか〜」
その会話の後ろで、
陽翔がじっとこっち見てた。
(え、ちょっと待って、その顔……怒ってんの?)
チャイムが鳴っても、陽翔の視線が刺さる。
授業が始まっても、ずっと。
俺の持つペンの先が震える。
(おい……その目、なに……!怖っ)
昼休みになって、机の上に弁当出した瞬間、
陽翔がドン、と椅子を引いてこっち向いた。
なんだか空気が少し張りつめてるのが分かる。
周りの笑い声が、やたら遠く聞こえた。
「なに」
「さっきの女子、なに」
「なにって、普通に話しただけ」
「笑ってた」
「いや、笑うでしょ。会話だもん」
「楽しそうだった」
「何言ってんの」
めちゃくちゃ拗ねてる……!
まっすぐ刺してくるその目が、いつもより熱を持ってた。
言い返すたび、こっちの鼓動が負けていく。
「俺と話してるときより――楽しそうだった」
「お前、どの角度で比較してんの?」
陽翔は黙って、箸を置いた。
「……俺、嫉妬してる」
「知ってる!」
「声でバレた?」
「顔でバレた!」
「隠せねーんだよな、こういうの」
「開き直るな!!」
(うわぁ……また顔が近い。
ていうか、その距離で嫉妬報告やめなさい、照れるから!)
午後の休み時間。窓際の席から外を見てると、陽翔がぽつりと呟いた。
「……転校、やめられないの?」
「急に何?」
「無理って分かってるけど」
「……」
「あと数日って思うと、なんか焦るんだよ」
「……別に、焦んなくていい」
「焦る。だってさ」
陽翔が少し笑って、それでも目は真面目だった。
「俺、まだキスもしてない」
「はああああ!?!?」
「声でかい」
「でかくもなる!!」
「いや、焦ってるの俺の方なんだけど」
「知らないよ!!」
「だって、手はつないだ。
抱きしめた。
でもそれで止まってんの、もどかしい」
「ストップ! その続き言うな!?」
「言わねーよ。
でも……思ってんのは本当」
(やばい。顔、熱い。耳、爆発しそう。)
放課後、誰もいなくなった教室で、陽翔が声かけてきた。
「ちょっと」
「なに」
「目つぶって」
「は?」
「いいから」
「嫌だ」
「信じろって」
「いや無理だろ」
「じゃあ俺がする」
「今!?」
陽翔が笑って、
でも次の瞬間、その笑顔が静かに消えた。
「……ほんとに、好きなんだよ」
「……」
「我慢してんの、けっこう限界」
「お前……」
「でも、ちゃんと待つ。
だから、目そらすな」
陽翔が俺の頬に手を添える。
視線が合う。
二人の鼻先が触れそうで、触れない近さ。
陽翔がほんの少し顔を近づけて――
「……やめとく」
「っ……!」
「まだ早い」
「なにそれ」
「焦らすの得意なんで」
「お前マジで……!」
「キスは、次の機会に取っとく」
「いつなのそれ!来るのか?」
「明日かも」
「はやっ!!」
「冗談」
(いや、絶対冗談じゃない顔してた……!)
帰り支度をして、下駄箱で靴を履き替える。
その時、昇降口の掲示板に“転校手続きについて”の俺宛の紙が貼ってあったのを見つけた。
白い紙に印刷された黒文字が、
まるで“終わり”のカウントダウンみたいに見えた。
それを見た瞬間、現実が一気に重くなる。
(あと3日。
ほんとに、時間ないんだな……)
陽翔も隣でそれを見て、小さくつぶやいた。
「……嫌だな」
「……」
「まだ言いたいこと、いっぱいあんのに」
「俺も」
「じゃあ、少しずつ言ってこ」
「お前、簡単に言うなよ」
「簡単じゃないけど、
言わないと後悔すんだろ」
「……お前って、ほんとそういうとこすごいよな」
「どこが」
「前向きすぎる」
「織が後ろ向きすぎんだよ」
「だまってくれ」
陽翔が笑って、俺の頭に手を置いた。
いつもの、あったかい手。
その瞬間、
胸の中で何かがゆっくり落ち着く。
(ああ……やっぱ、この距離、嫌いじゃない。)
家の前で別れるとき、陽翔が言った。
「なぁ、織、明日」
「ん」
「ちょっとだけ、来てほしいとこある」
「どこ」
「秘密」
「は?なんで」
「言ったら来ないだろ」
「来ないね」
「じゃあ言わねー」
「はぁ!?」
「俺のサプライズ信じとけ」
「いやサプライズってお前……!」
陽翔が笑って手を振って家に入っていった。
家に帰ってからも、
頭の中でさっきの“未遂”がぐるぐる回ってた。
……今日のあれ、何だったんだ。
キスする感じの流れ、完全に入ってたよな?
でも止めたの、あいつなんだよな……。
こっちは覚悟とかじゃなく、
反応がバグって固まってただけだけど。
制服を脱いでベッドに倒れた。
天井のシミが、なんか今日やけに多く見えてくる気がした。
(あいつの手の温度、まだ残ってる気がする……やば。)
「はぁ……」
弟の知がドアの隙間から顔を出した。
「兄ちゃん、ため息デカすぎ」
「いいの!」
「ハル兄と喧嘩でもした?」
「なんでいきなりその名前出すんだよ!」
「いや、だいたいそれ絡みでしょ」
「……」
「ほら図星」
「図星とか言うな」
「俺、見てるとこ見てんだよ」
「え、なにを?」
知がドヤ顔になった。
「昨日の帰り道」
「はっ!?!」
「手つないでた」
「お前それ言うなあああ!!!」
知は爆笑しながら逃げていった。
(うわぁ……身内バレ……最っ悪……)
風呂から上がっても、まだ落ち着かない。
スマホを見ても、何も通知が来てない。
(今日はもう連絡ないのかな……)
なんて思ってたら、画面が光った。
陽翔:寝た?
(出た、寝た?攻撃……)
織:まだ
陽翔:眠れない
織:知らねーよ
陽翔:今日、あれ止めて正解だったと思う?
織:あれってなに
陽翔:わかってんだろ
織:知らん
陽翔:ほんとは、キスしたかった
織:知ってるわ!!
陽翔:じゃあ、次はする
織:おい!!
陽翔:おやすみ、織
(……バカ陽翔。
俺、最後にそうやって名前呼ぶのとか弱いんだよ。)
何度もため息をつきながら寝返りを打った。
……“次はする”って。
ほんとに来たらどうすんの、俺。
考えるだけで、寝れないわ。
〈残念なお知らせ。〉
明日、きっと俺は、「好き」を認める準備をする。




