51.コンスタンツェの機転
「ティアナ。ホロゥが、マートリー男爵の中に入っているわ!」
コンスタンツェは姿を消して、ティアナの横にやってきたようだった。突然そう囁かれて驚くティアナ。だが、彼女の声そのものも王妃に聞かれているようで「一体誰? その声は」としかめ面を見せる王妃。やはり、王妃はホロゥが見えるのだなと理解をするティアナ。
「待て! 聖女!」
後ろから、マイツェンがティアナの肩に手をかける。それへ、ティアナはカッとなって
「誰が、触れていいと言いましたか!」
と大きな声をあげた。その声に驚いたのか、マイツェンはびくりと手を引く。王妃すら、びくりと体を震わせるほどの声量だ。
(もう迷っている時間はない。わたしが出来ることは)
これ以上ぐだぐだと言い訳を述べられる気がしない。そんな中、マートリー男爵は緩やかに動き始めた。いけない。彼の手元にある書類が何なのかは見えなかったが、間違いなく借用書だろう。それにサインをしてしまっては取り返しがつかなくなってしまう。
「……っ!」
ティアナはドレスの裾をばっとめくりあげた。なんと、彼女の太ももにはベルトがついており、そこに宝剣を収納するケースがついていた。国王の謁見以降、宝剣は肌身離さず持っているものだと、どこにいくにもティアナは持ち歩くようになっていた。ここで、役立ってくれ、と彼女はそれを手早くケースから取り出す。
「何を……!」
王妃が声をあげた瞬間、彼女は宝剣を鞘から引き抜いて、マートリー男爵に近寄った。いくら俯いているとはいえ、マートリー男爵の視界の隅にでも間違いなく入っているはずだ。それなのに、彼はまったくティアナの方を見ていない。
(これで、どうにかならなかったら、今日のところは退散するしかないわ……そのう、疑われて、この先の調査は大変になっちゃうでしょうけど、そこはマリウスに許してもらって……! 許されないかしらね!? ああー! 許されない気がしてきたわ!)
次の瞬間、ティアナは宝剣でマートリー男爵を「切った」。いや、本当はその剣は刃物ではないから、切れるわけがないのだ。だが、体感で彼女は「切った」のだ。
(お願い! 効いて……!)
すると、マートリー男爵の口から、何か白いものが出て来た。ホロゥのように見える。だが、大きさはあまりに小さく、口から出たと思ったらすぐに散って、あっという間にそれは空中で消えてしまった。ほぼ同時に、がくりとマートリー男爵はソファに深く沈み込んで意識を失ってしまったようだった。それを見た王妃が、何かを悟ったようで叫ぶ。
「マイツェン! 借用書を!」
引き攣れた声。マイツェンは慌ててティアナの前に出ると、マートリー男爵がサインをしようとしていた書類を手にして、ティアナに見せないようにと抜き取った。ティアナは「しまった」と思ったが、もう遅い。その借用書がなければ、彼らが何をしていたのかは闇に葬られてしまうだろう。
しかし、次の瞬間王妃の体は強張り、とんでもないことを言い出した。
「それ、を……ティアナ……に……渡しなさい……」
少ししわがれた王妃の声。マイツェンは「は!?」と叫んで「何をおっしゃるんですか、王妃様!」と言ったが、王妃は「早くしなさいっ!」と叫ぶ。
「え? ええ?」
まったく事態をわかっていないマイツェンは、困惑をして王妃とティアナをかわるがわる見る。そうこうしているうちに、マートリー男爵は意識がうっすらと戻って、ぐったりと「なんだ……?」と声を出した。
ティアナは「王妃様の命令でしょ! 早くこちらに渡して頂戴!」といって、マイツェンから借用書を奪い取る。おろおろしているマイツェンのことは気にかけず、マートリー男爵に「さあ、行きますよ、マートリー男爵!」と声をかけた。
「え? ええ? こ、こ、は……」
「こっちです!」
目覚めたマートリー男爵は、目の前に座っている王妃を見て「王妃様!?」と声をあげた。だが、王妃はそれに応えない。マイツェンは「王妃様、どうなさったのですか」と何度も王妃に声をかけたが、彼女は黙り込んでいる。
(コンスタンツェね……! 最高の仕事だわ!)
きっと、王妃の中にコンスタンツェが入り込んだのだろう。ならば、そう時間は長くもたないとわかっている。ティアナはもう一度マートリー男爵に言った。
「さあ。今すぐここを出ましょう。ここは王族のみが許されている場所ですから」
「えっ、ええ……?」
ああ、もう面倒だ。ティアナは「ちっ」と小さく舌打ちをひとつ。普段は決して、そのような言い方をしないものの、少し居丈高になってきっぱりと告げた。
「白銀の大聖女であるわたくしが命じます。マートリー男爵」
「ああっ……大聖女様、でしたか……!」
ようやく意識が戻って来たように、マートリーは覚醒したようだ。黙り込んでいる王妃をちらちらと見ながらも、彼は「失礼いたしました」とよくわからないなりに一礼をして、ティアナと共に部屋を出る。
「一体、わたしは……?」
「これ、見覚え有ります!?」
そう言って、ティアナは今手にしていた書類をマートリーに渡した。立ち止まりそうになるマートリーに「歩きながらで」と言って急かす。一刻も早くこの場から立ち去らなければ、マリウスと合流をしなければ、と思ったからだ。
「は……? 何ですか、これ……」
「それへ、先ほどあなたはサインをしようとしていたんですよ」
「え?」
それは、当然ながらマートリー男爵が金を借りるための借用書だった。と、その時コンスタンツェがようやく追いついたようで、ティアナの肩のあたりにぼうっと姿を見せる。彼女の声は、大層弱っていた。
「ねぇ~、ね、中で休ませてぇ……もう限界……」
「ありがとう。王妃様を操ってくださったのね?」
「でもお、あなたがそういうことを出来るって……知らせてしまったようなものだし……何かこれから、揉めなきゃいいんだけどぉ……」
そう言って、コンスタンツェはするりとティアナの中に入る。それはそうだ。話はどうにもよくわからなかったが、マートリー男爵の中にホロゥが入って、サインをさせようとしていた。それを寸でのところで止めたわけだが、結局その場を乗り切るため、コンスタンツェが王妃の中に入った。同じことだ。逆に、王妃から「大聖女が霊体を操って、この国をわがものにしようとしている」とか大きなことを言いだされる可能性もある。
兵士たちの間をすり抜ければ、舞踏会の音楽が聞こえてくる。通路に、マリウスとラルフが立っていた。彼らの顔を見て、ティアナはようやくほっと息をついた。




