4-07 もしもわたしがあなたなら ~If AI were YU~
怜和9年。
日本はAIによる統治により、安定した国となっていた。
照和、平正とAIは驚異的発展を遂げ、分散多元処理型AI『ふそう』が生まれた。
大震災などの国難から地方のバスの運行調整まで、的確な提案で国民を護るその人気は絶大で汚職無能の人間の政治家たちは有名無実化していた。
男子高校生、天音優は匿名SNSで偶然親しくなった女子高生と毎晩のようにチャットしていた。能天気なほど明るい彼女はアイと名乗った。人付き合いが苦手な優だが彼女とのやり取りは心地よかった。
ある日、彼の隣室に奇妙な女性が引っ越してくる。彼女は言った。
「キミは『ふそう』とどういう関係?」
人々を思うがあまり、激烈な矛盾やストレスから多重人格を作ってしまった真面目なAI。アイはその逃避人格の一つだった。
日本のため? いや、彼女のため優たちは密かに動き出す。
『それでは「今日のふそうさん」のコーナーです。ふそうさーん!』
夕方の情報番組の男性キャスターがスタジオから呼びかけた。
高校から帰宅中の天音優はスクランブル交差点の信号待ちで声の出所を仰ぎ見た。
ターミナル駅前。ショッピングビルの壁面の巨大スクリーンに、山あいを流れる清流が映し出された。綺麗な夕日がキラキラと川面を反射している。大きな美しい画面にビル自身がキラキラと輝いているようだ。
そこにイラスト調の3DCGで描かれた女性が現れた。涼やかな白い浴衣姿に国蝶の髪飾りが映える。若々しくも落ち着いても見える、年齢不詳の容姿だ。
少々ディフォルメされたイラストだがリアルな人間の姿よりも逆に違和感が少ないらしい。
『はい、ふそうです』
浴衣姿の『ふそうさん』が穏やかにお辞儀する。
『今日は2日前に豪雨のあった熊本県、球磨川上流からお送りします』
日本人の多くが心理的に好感や安心感を持つようにデザインされた姿、表情、声、しぐさ。統治AI「ふそう」が自ら広報にも使う自然言語対人インターフェース『ふそうさん』だ。
『防災シミュレーションからの集中工事が間に合いました。ご覧のようにこちらは落ち着いています。ご安心くださいね』
真面目な表情の中にふんわりと人懐っこさも浮かべると軽く手を振った。
上品で好感が持てる安心感ある声。今回はいくぶん明るくラフに微調整されているようだ。
ふそうさんは状況や伝える対象によって造形バリエーションを使い分けている。楚々とした着物姿が多いが、今回は夏の夕暮れらしく浴衣にしたようだ。
優の隣に立つ二人組の女子高生たちが盛り上がっている。
「やっぱふそうちゃんだよね! 6月にめちゃ雨ふったじゃん? で、すぐに工事始めたらしいよ」
「ふそうちゃん、ちょっとドヤ顔してない? ウケる!!」
「喜んでるんだよ。そういう子じゃん!」
川のほとりをうちわ片手に歩くふそうさん。
時折不安定な足下にバランスを崩すが、これは実際の地面映像を元に瞬時に画像を生成しているためだ。CGだとはわかっていても現場に直接出向いているように錯覚してしまう。
『気になるところ、ご要望はダイレクトメール「ふそうに届け」までお送りくださいね。リアルタイムで全てをチェックしています。大丈夫。わたしは日本中すべてを見ていますから』
ふそうさんは声に力をこめ、そして愛嬌ある笑顔を見せてCMに移った。
優は交差点に目を戻した。
初老のサラリーマンがスマートフォンに何やら話しかけている。画面には着物姿のふそうが映し出されている。
ガラの悪い男が道端の駐車禁止モニターに向かって怒鳴っている。頷いて聞き取っているのは警察官姿のふそう。
母親と小さな女の子が指さすサイネージ広告ではネコの姿をした『ふそうにゃん』が予防接種のお願いをしている。
信号が青に変わった。
スクランブル交差点の全方向から様々な人々が一斉に中心に向かって歩き始める。
「ここの信号、赤になってる時間、長くね?」
「ふそうたんにお願いすべき!」
「マジか!」
大学生風の男たちの、ゲラゲラ笑う声が喧噪にまぎれていった。
◆◆
『こんばんは、ゆう!』
パソコンで勉強中の優のデスクトップに『DoItter』からのコメントがひょこんとポップアップされた。
『今、いいかな?』
ドキドキしながらキーボードを叩く。
「いいよ」
優はDoItterでは音声入力ではなく文字入力している。
もともと優は人とコミュニケーションを取るのが得意ではない。苦手だけれどなんとかしたい……そこで匿名SNSで練習することにしたのだ。DoItterは世界中のユーザーと匿名、短文でやりとりができる最もユーザー数の多いツールで個人と秘密のチャットができる機能もある。
ポップアップのセリフの主は、そこで偶然知り合った『アイ』と名乗る女子高生だ。
優は口下手だ。ましてや同い年の女子と会話するなんて!
しかしキーボード入力での文字会話は落ち着いてできることに気が付いた。
『わたしも苦手なんだ!』
アイも同調してくれたおかげで二人は文字での会話を続けている。最近は夜遅くまで楽しくチャットする毎日を過ごしていた。
『だいじょうぶ? 迷惑かけてない?』
「課題なら昼にやったから」
『そっか! よかった!! ゆうってわたしの知らない事をたくさん知ってるから、一緒に勉強すると賢くなったような気がするんだよ』
「気がするだけなんだ」
『違う違うごめんごめん! ちゃんと尊敬してるんだよ! ありがとね』
アイは知識欲が旺盛だった。とにかく質問攻めをしてくる。勉強の事だけじゃなく色々と尋ねてきたが、なかには高校生とは思えない子供のような疑問も多かった。
優も圧倒されてはいたがコミュニケーションが苦手だった自分がこんなに会話ができるんだと驚きつつも嬉しく感じていた。
きっと優でなければ煙たい思いをしたかもしれない。
『ゆう、ノストラダムスの大予言って知ってる?』
突然アイが奇妙な質問を始めた。
「1999の年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。――とかいう世界が滅亡するって騒ぎになった予言だったかな」
フランスのノストラダムスが1500年代に遺した意味深な詩だ。未来を予知したような内容が書かれているとして1970年代に話題になったらしい。
『そう。ゆうは信じてる?』
「あれは、ふそうのプロトタイプが1999の前年に否定したからね。その通り何も起きなかった」
『へえ』
「でも、その代わり2000年の4月に東欧から世界を混乱させる長い戦争が始まるって、シミュレーションで予測してね」
そして予測通り、実際に長い戦争が始まった。世界が混乱し、石油や小麦などの資源が滞り、紛争や貧困が広がった。
そんな中、日本ではあるAIの活躍が注目され始めた。
予言を否定し、実際に戦争が始まるタイミングを完璧に予測したのが現在のふそうの原型となったAIだった。
生み出したのは、津嶋博士という若き天才だった。
神がかった発想と画期的な技術で生まれた超巨大コンピューターは、限られた資源を効果的に使い、経済の崩壊を防ぐ提案をした。
そして、その提案はことごとく成功したのだった。
優は記録画像を検索し、画面にアップした。ぼさぼさ髪の津嶋博士と、天才プログラマーでありその美しさでも有名だった妻。二人と手をつないでジッと巨大なふそうを見上げる小さな女の子。そんな日常風景を切り取ったシーンだ。
『この人?』
「そう。大震災とかの被害も少なく抑えて復興も進めてね。AIの方が信じられるよ」
『そっか。凄い人たちだったんだね!』
「え。アイちゃんは知らなかったの?」
『あはは! 勉強不足でして! 面目ない!』
優たちの世代なら当たり前の知識だがアイはたまにこういう反応をする。妙に古臭い言葉を使う時も多い。
「大丈夫だよ。わからない事があれば僕の知っている事なら伝えられるし」
『やった! それじゃ教えてほしいことがあるんだ! ゆうはガッコうで』
「どうしたの?」
『ごゴメン。ちょっと、あ』
アイのチャットが途中で乱れた。
「大丈夫?」
「落ち着いて」
「のんびり待ってるから」
優が何度か呼びかけるとアイの反応が返ってきた。
『ウチらは、天使、というか?』
「え?」
『ウチだってやりたくないことがあったとしても宇宙の膨張が止められないようにそれは人魚姫が泡となった事をしらない無垢な王子様のようなもので善い悪いでは』
「あれ? DoItterが壊れた?」
何か別の文章が混じったみたいだ。
「アイちゃんの方は大丈夫? なんだかDoItterの調子が悪いみたいだけど」
しばらく待ったがアイはそのまま戻ってこなかった。
◆◆
優はリビングの時計を見上げた。朝の7時。
優はマンションで一人暮らしをしている。
両親はそろってインドに出張中だ。日本が貸与しているふそうの妹機「ガネーシャ」によってインドの国内も安定してきたが、高校生を連れていくには不安ということで日本に残って受験に集中するようにとのことだった。
(DoItter、なんだかおかしかったな……)
高校のブレザーに袖を通しながら器用にフライパンの目玉焼きを皿代わりのトーストに載せていると、玄関のチャイムが鳴った。
こんな朝早くになんだよと玄関モニターを見ると、上下とも黒いジャージ姿の女性が立っている。手にはコンビニ袋。
「……どちらさまですか」
『わ。……え。あ。き、きのう、隣に引っ越してきた……津嶋といいます……』
そういえば2日ほど隣が騒がしかったな、変な勧誘じゃないならと、優はドアを開けた。
開いたドアからおたおたと離れる女性。黒髪を後ろで簡単に束ね、緊張に顔を少しひきつらせている。
背が高い。小柄な優は少し見上げる形だ。
見たところ30歳前後だろうか。目鼻立ちは整っている。しかしこの年齢の女性にしては化粧が薄い。バッチリと化粧をしている女性ではなくて優は少し気楽になった。
「……ご用ですか……?」
「あの……その……」
うつむき加減で、ぼそぼそと小さな声。
津嶋と名乗る女性は意を決したように深呼吸をすると、コンビニ袋を優に突き出した。
「ほ、本日は大変お日柄もよく!」
斬新な引っ越しのご挨拶だった。





