4-04 新しい扉を開いたら
「私が生み出した主人公たちと一緒に、ゲームの世界を楽しんでいただけたなら、作者としてこんなに嬉しいことはありません」
十七里亜弓 GamePress「注目ゲーム特集」122p
物語を紡ぐ喜びと読者の反応に一喜一憂する楽しみを思い出した亜弓は高校以来、久し振りに創作の世界に戻ってきた
コンテストに応募した作品はゲームの原作となるが、開発は平坦な道のりとはいえず、暗礁に乗り上げていた。
十七里亜弓はゲーム雑誌に掲載された自分のインタビュー記事を読みながら、泥沼に腰までつかったような状況に陥った原因を捜していた。
いったいどこで選択を誤ったのか。
思い返してみれば、独り身になってから駆け足の一年だった。
とあるライトノベルのコンテストに応募した結果、運良くゲーム原作賞を受賞したことが始まりだろうか。
そもそも結婚後はずっと専業主婦で家事や子育てに忙しく創作活動なんて高校以来。
長い間、創作活動から離れていた。
そんな亜弓が創作の世界に戻ってきたのは人生の転機が訪れたからだ。
転機といっても幸運の類ではない。
夫の浮気がすべての発端だった。
真面目を絵にかいたような夫は仕事も家庭サービスもそつなくこなす優等生タイプ。
唯一の欠点は面白みに欠けることだと亜弓はずっと思い込んでいた。
今となっては自分の節穴さ加減に眩暈がする。
ある日、早寝した夫のスマホに連続してメッセージが送られてきていることに気づいた亜弓は、仕事で何かあったのかと不安になって寝顔でロックを外した。
他人のスマホの中身なんて見るものではないと今では後悔している。
出るわ出るわ不倫相手とのメッセージのやりとりから写真まで。
スマホのストレージは浮気の証拠で一杯だった。
頭が真っ白になりながらも学生時代からの親友に電話をかけたのは、我ながらファインプレイだったと豪語したい。
アドバイスを受けてデータを転送した亜弓は翌朝には弁護士事務所に飛び込んだ。
それからはベルトコンベアで流れる荷物のように離婚が決まり、家を売却して多額の慰謝料が転がり込んできた。
気持ちはスッキリしたが、心にはずっと曇り空だ。
これまでは子育てに忙しくてひとりになることなんてなかった。
そんな子供たちもそれぞれ独り立ちしている。
ぽっかりと空いた心の隙間を埋めるように何をするでもなく、移り住んだワンルームのアパートで日がな一日、ぼーっとして過ごした。
結婚して家を出た娘が見かねて訪ねてくるまで、ひと月はそうしていたように思う。
「お母さん、もう世捨て人みたいな生活は止めなさいよ」
「別に世を儚んでいるわけじゃないわ」
「なんだか、ふらっといなくなりそうで怖いの」
「心配しなくても大丈夫。お父さんよりは長生きしてやるつもりだから」
娘は鼻を鳴らして苦笑いを返した。
浮気の一件以来、父親は母娘共通の敵となっている。
「何か始めてみたら? 仕事でも趣味でも。きっと張り合いが出るよ」
「そうねえ。ちょっとブランクが長過ぎて踏み出せなくて」
「ひとりで始められることもあるじゃない。ほら、小説を書くとか」
確かに高校時代は文芸部に所属していて小説を書いていた経験はあるが、あれからもう二十年以上経っている。
「ダメダメ、まったく自信ないわ」
「小さい頃、色んなお話を作ってくれたじゃない。100万回生きた猫と魅惑の謎肉とか。あれ面白かったなあ」
亜弓は絵本の読み聞かせに飽きた娘にねだられて、即興で物語を作っていたことを思い出した。
娘の笑顔が嬉しくて、つい好き勝手にとんでもない展開にしていたように思う。
「確かに、あの頃は楽しかったわね……」
「そうでしょう。きっとお母さんにはストーリーテラーの素質があるのよ」
「あなた、本なんて読まないじゃない」
「え、映画は見ているから、わかるの!」
離婚前は新しいことに踏み出すのを躊躇っていたばかりに、その機会を永遠に失ってしまった。
同じことを繰り返していては後悔するばかりだろう。
娘の後押しもあって亜弓は小説を書いてみようと決心した。
こうして書かれた処女作がコンテストで入賞したのだから人生何が起こるかわからない。
ゲーム原作賞は小説を基に家庭用ゲーム機でRPGを開発する計画が立ち上がっていた。
開発会社は小規模のベンチャー企業でスタッフの人数も少なく、猫の手も借りたい忙しさだったのだろう。
誘われるがままフリーランスのシナリオライターとして契約した。
それが泥沼の入り口とも知らずに。
「十七里さん、進捗はどうですか?」
プロジェクトマネージャーの大塚が張り付いたような笑顔で話しかけてきた。
何か悪い知らせを持ってきたときの態度だと短い付き合いからでも、すぐにピンとくる。
「世界とキャラの設定は終わっています。今はプロットからセリフを書き出しているところですね」
「なるほどなるほど、スケジュール通りですね。いや、シナリオライターとしての経験はないとおっしゃっていたが、手際良く進められていますね」
「そう言っていただけると励みになります」
上げて落とす作戦なのだろうかと亜弓は身構えた。
離婚の後遺症なのかなんでも悪い方向に考えが及んでしまうのは良くない傾向だ。
「ところで今、開発中のゲーム、ソシャゲに変わりました」
「はい?」
「クライアントの意向です。家庭用ゲーム機では売り上げが立たないんですよね。残念ながら」
「それは……、厳しい状況ですね」
娘たちはゲームに興味を示さなかったので、スマホのアプリぐらいしか遊んだことがなく、業界の情勢に疎い亜弓は大塚の話に頷くほかない。
「ウチみたいな吹けば飛ぶようなベンチャーは失敗できないのでね」
「成功してほしいのは私だって同じ気持ちです。一蓮托生ですよ」
自分が紡いだ物語が世に出るのだ。
少しでも多くの人の目に触れてほしいと思うのは作者のエゴだけではないはずだ。
笑顔を浮かべたままの大塚は特に感銘を受けた様子もなく、軽い調子で先を続けた。
「そこで十七里さんにお願いがあるのですが」
「はい、なんでもおっしゃってください」
大塚は明日の天気を尋ねるように軽い調子で話を続けた。
「キャラを全員、女の子に変えてもらえませんか?」
「はい?!」
頭が真っ白になったのは亜弓にとって人生で二回目の経験だった。
賞を取った原作小説は二つのテーマを軸にしている。
戦国時代に対立していた領主の嫡男と姫が愛し合うも引き裂かれ、無念の思いを抱いたまま死んでしまう。
そして三百年の時を経て生まれ変わり、幕末の世で再び出会う二人の恋愛要素を縦軸に。
新選組の隊士となって維新志士と死闘を繰り広げながら仲間たちと友情を育む成長要素を横軸に据えていた。
RPGとしては仲間を集めてパーティを組んで強敵を倒すオーソドックスな展開となるだろう。
これまで積み上げてきた構想が一瞬にして更地に戻ったのだ。
「いやいやいや、無理ですって。新選組ですよ。男しかいないじゃないですか」
「十七里さん、固定概念に囚われてはいけません。歴史上の人物たちは皆、女体化されています。ググってみれば、すぐにわかりますよ」
「よそはよそです! 大体、死闘を繰り広げながら仲間との友情を育むんですよ。女の子だと無理がありません?」
「いやいや、今時は女の子だって戦いながら友情を育みますから」
「姫の生まれ変わりと恋愛関係になるんですよ?!」
「生まれ変わりなのに性別が同じである必要はないですよね? 百合にしましょう。百合を嫌う人などいません」
亜弓はふうっと長い息を吐いて心を落ち着けた。
いくら設定上の問題から反対しても大塚が首を縦に振ることはなさそうだ。
プロジェクトマネージャーといえば、口八丁手八丁でスタッフをなだめすかせて開発を進めるのが仕事。
正面からでは太刀打ちできない。
「どうして女の子にする必要があるんですか?」
「十七里さん、ソシャゲの売り上げは、ほとんど課金してガチャを回すことで成り立っています。その商品はなんだと思います?」
「キャラクター、ですか?」
「その通りです。そしてかわいい女の子のキャラクターならユーザーに強くアピールできます」
ほとんどゲームを遊ばない亜弓でもかわいい女の子たちを前面に押し出したソシャゲの広告は毎日のように目にする。
大塚の主張が正しいことは知識の乏しい亜弓にも理解できる。
「それは男性向けですよね? 女性向けならかっこいい青年だってオジサンだって人気が出るんじゃないですか?」
「女性向けはウケるツボを探ることが非常に難しい。それに現実で手に取れるグッズの方が売れますね。圧倒的に。仮想のデータに課金してくれるのはやはり男性が多いんです」
「そんなことありませんよ。私だってイケオジなら課金します、絶対!」
言っている途中で亜弓の顔は熱を帯びて真っ赤になっていた。
恥ずかしいことを大声で口にしていることは自覚している。
「十七里さん、今までにソシャゲで課金したことはありますか?」
「うっ、いえ、たまに無料で遊んでいるだけです……」
「そういうことです。何がウケるかは熱狂の渦に巻き込まれた人たちにしかわからない。その点で数字は嘘をつかない。データを読み解けばすべてが明らかです」
理路整然と答えられると自分が間違っているようで気持ちがぐらついた。
しかし、ここでこの物語の味方となれるのは亜弓しかいない。
「それでも、それでも主人公とヒロインは長い時の果てに再会して恋に落ちないといけないんです! そうでなければこの物語は破綻してしまいます」
大塚は目を閉じてしばらくこめかみを指で叩いていた。
そうして考えがまとまったのか落ち着いた声で話し始める。
「十七里さんの熱意は伝わりました。それならこうしましょう……」
大塚は大真面目な顔をして言葉を続けた。
「キャラを全員、男の娘に変えてもらえませんか?」