4-25 あなたを呪いたかったんじゃないの
『公爵家の嫡男は呪われている。死んだ公爵の元婚約者の呪いらしい』
と言う噂を聞いたときには大きく動揺した。
悪役令嬢×呪われ公子=推理?!
同僚の一言は、たぶん何気ないものだったのだと思う。普段、商会が扱う噂とは違って商売とは関係ない、いわゆる『醜聞』の類なのだから。
「なんですって……?!」
昼時の食堂。何気ない気晴らしのような、そういう軽い話が『鉄壁の女』をここまで取り乱させるなど、彼女だって思っていなかったろう。
「いや、だから隣国のうわさ話よ。グラヴェロット公爵の呪われた令息の話」
「グラヴェロット……」
動揺が如実に現れたラーラの声は震えていたし、私の腕も震えていた。
周りは一体何の話をしているのだろうと思っていそうだ。軽い醜聞の話だなんて、誰も思わないに違いない。
そこにひょっこり別の男が現れた。
「大恋愛で結ばれた二人の間に生まれた、待望の嫡男は呪われていました、なんて、本当におとぎ話の中みたいだな」
私達の上司だが、どうやら彼は私達が何の話をしていたのか聞いていたらしい。
「盗み聞きですか」
「部下の話って、ちょっとしたものでも参考になるんだよ。知っているだろう?」
「まぁ、そうですけど」
フットワークの軽い上司はそのまま私達のテーブルにつく。プレートに盛った昼食をテーブルに置くと、もう片方の手にあった常温のお茶をグイッと飲んだ。
「グラヴェロット公爵は、隣国先々王の甥になるのだったか」
「そうですね」
「それより『銀氷王子の純愛』のモデルと言ったほうが有名ですけれど」
ラーラの言った『銀氷王子の純愛』は、数年前に流行った舞台劇のタイトルである。とある愛らしいが身分の低い女性が、様々な障害を乗り越えてその国の王子と結ばれる恋愛物語だ。
そのモデルが現グラヴェロット公爵夫妻であるというのは有名な話だった。
「その息子が、なんだって?」
「生まれた時から呪われてるって。しかもこれが、処刑された侯爵令嬢の呪いだと言われてるんだそうです」
「!!」
二人を引き裂く障害の一つに、王子の婚約者であった侯爵令嬢の存在がある。彼女は王子と結婚する為に、かなりの悪事を働く。
彼女は様々な罪を暴かれ、毒杯によって処刑される。そしてハッピーエンド。
「まぁ、婚約者を奪われた上に処刑されたんじゃ、恨んでもおかしくないわよね。それが逆恨みでも」
ラーラが呆れた声でそう評するけれど、これは舞台を見た者たちなら似たような印象を持つはず。
でも知ってる。本物の侯爵令嬢は毒杯なんて賜ってはいない。実際の処罰は『身分剥奪の上、国外追放』である。これだって十分重い。
それが舞台では、派手に恨みを吐きながら毒杯を仰ぐ悪役令嬢の姿が話題になり、『毒杯を賜った』の方が広まった。実はストーリーや主役の二人より、こちらの役の演技のほうが話題になった舞台である。
だから知ってる。
『処刑された侯爵令嬢の呪い』なんてものは存在しない。
ガタンッ
私が勢いよく立ち上がるので、ラーラも上司も目を丸くした。
「? どうした」
「明日から有給頂けますか」
「?!」
有給。その言葉が私の口から出るのは稀である。というのも。
「この商会に勤めて十年近く。法律に認められた有給を私はとっていません」
「……とれって言ってもはねのけてただろ」
という理由からである。
休みに何していいかわからない。私はそういうタイプの人間だ。
「明日から! 取ります!!」
突然の宣言に、テーブルの二人だけでなく、周囲もざわめいた。
仕事が恋人と豪語する『鉄壁の女』が休むのは、商会にいるすべての人間にとって一大事だった。
「まぁ待て、引き継ぎはしていけ。半日で終わるか?」
「終わらせます」
私の挑発的な返しに、上司はにやりとした。
「わかった。有給、楽しんで来い」
「ダメだ。この申請は却下する」
「何故ですか?!」
上司にOKを貰った有給は、商会長によって却下されてしまった。急いで引き継ぎをしていたところに、呼び出された商会長室でのことである。
「貴方だって、有給取れって言ってたじゃないですか!」
「理由がダメだ」
睨むが、他業種からでさえ恐れられる商会長にはそんなもの全く効かない。これが他の商会の交渉役にならガンガン効くのに。
悔しい思いで目に力を込めるも、ため息で退けられてしまった。
「お前、隣国のビザどうやって取るんだ。『観光』じゃ許可出ないだろ」
その言葉にハッとする。そうだ、名前が変わっていても受けた罪状の痕跡は残る。私は隣国に入ることができない。
オロオロとしていると、商会長は、また大きく息を吐いた。
「隣国なぁ……。そういえば何件か支店の要請が来てたなぁ」
「?」
「優秀で厳格な調査員に、現地視察してもらえたら助かるんだが……例えば『鉄壁の女』みたいな」
「!!」
商会長は穏やかな顔で私を見た。
「『仕事上の理由による一時的な滞在』なら、商会の名前でビザが取れる。単独で行動はできないがな。頼めるか?」
「商会長……!」
私を拾い、育ててくれた商会長は、非常に頼りになる人だ。
「心情はよくわかる。……有給は帰ってきてからな」
隣国へ行くのは一週間後となった。同行はあの同僚、ラーラである。
「マリィってば、まさか『呪われた令息』の噂のために隣国行きを商会長からもぎ取ったって本当なの?」
国境行きの馬車の中、ラーラはこっそり聞いてきた。
女二人と、商会の雇った護衛の傭兵たちとの旅である。商会の長距離移動用の馬車は広く快適で、中には私とラーラしかいないのだから、別に声を潜める必要などないのに。
「本当よ。『呪われた令息』のために隣国へ行くの」
ひぇ〜、と情けない声を出して仰け反ったラーラは、信じられないというふうに首を振った。
「まさか私の他愛ないお喋りからこうなるなんて……」
「ごめんね、ラーラ。でもラーラが同行するなんて考えもしなかったのよ」
てっきり他の商会との交渉に慣れた、別の同僚とだろうと思っていた。まぁ、確かに流行の調査だというなら彼女の方が適任だろうけれど。
ラーラはクッションに座り直すと、姿勢を正した。
「仕方ない。噂を伝えた責任は取るわ」
「あはは」
から笑いの私を、ラーラが首を傾げて見る。
「でも本当……どうしてわざわざ『呪われた令息』のことを?」
わざわざ。
そうね。
なぜ、仕事人間の『鉄壁の女』が、こんな噂に過剰反応するのか。
なぜ、十年近くも貯めた有給も貯蓄も叩いてでも、隣国へ行こうとするのか。
傍目にはわからないだろう。
「それはね……秘密にしてね、ラーラ」
私はラーラに向き合った。
「私が、公爵の息子に呪いをかけた『処刑された侯爵令嬢』だからよ」
一世一代の告白。自分からこう名乗ったのは初めてのこと。
「は? マリィが、呪い?!」
「ところがね、呪いなんかかけた覚えはないのよ」
ラーラは凍りついた。
「はぁああ?!?!」
*
グラヴェロット公爵家は、先々王の末の弟君が、臣下に下るときに作られた家である。
普通はその代のみとされるところ、親子ほども年の離れた弟君を可愛がった先々王が、三代は公爵位を与えると宣言したため、現公爵の次の代までは何も功績がなくとも公爵家が維持される。
我がバシェラール家は、建国から続く由緒正しい家柄で、だから公爵家の嫁として相応しいと組まれた縁組だった。公爵家としても、次代の権威付けとして必要だったのだと思う。
政略で組まれたカルロス・アルベルト・グラヴェロットとクリスティーヌ・バシェラールの婚約だったが、二人の仲はそれほど悪くはなかった。このまま行けば、友人同士のような穏やかな家庭が作られるだろうと考えられていた。
だが、そうは行かなかった。
学園でカルロスは出会ってしまったのである。
オルガ・エルランジェに。
クリスティーヌが、令嬢らしい華麗な少女であるのに対し、オルガ・エルランジェは愛らしく親しみやすい少女であった。
カルロスは身分差だとか、政略結婚の重要性だとか、そういうのをわかっていた上で、オルガに惹かれてしまった。惹かれる自分に苦悩しながら想いを募らせていた。
そんな時である。
クリスティーヌの悪行の噂が出回ったのは。
信じられないことにボロボロと沢山の証拠が現れて、しかもそれが匿名で王室に提出されてしまったのである。
クリスティーヌ・バシェラールは徹頭徹尾、嫌疑を否定したが、結局は王室の判断で、婚約破棄の上、バシェラール家からの絶縁と国外追放が決定された。
カルロスは募らせていた想いをオルガに打ち明けると、二人は結ばれた。
そして二人の結婚を機に、カルロスは公爵家当主となったのである。
「っていうのが、私の知っているグラヴェロット公爵家の事情よ」
「信じられない……」
移動中の宿の中、私はラーラに説明をした。
ラーラは頭を抱えて青い顔をしている。
「どのあたりが?」
「そもそも貴女が侯爵令嬢クリスティーヌだというところよ! マリィが他人を貶める悪行をするなんてとても思えないわ!」
ラーラとの付き合いも長い。もう6年になるだろうか。彼女からの信頼が嬉しかった。
「それはそうよ。濡れ衣だもの」
「……え?」
オルガのエルランジェ家は、子爵位ながら七代続くなかなかの家柄である。エルランジェの当主は、オルガが見初められていると見るや、私の冤罪を巧みに作り出した。バシェラールが気がついたときには、娘一人を切り離すほうがよほど傷が浅い状態に陥っていたのである。





